「夢の超特急」は信用できなかった? 安全・正確をつくった開業前後の苦闘と「1時間の余裕」
今や東海道新幹線は、日本の三大都市圏を結ぶ大動脈の役割を日々果たしています。しかし当初から順調だったわけではなく、開業前後には懐疑的な意見や多くの困難がありました。
トラブルの1年間から図られた見直し
1964年12月18日には新横浜~小田原間で架線引留用碍子が破損し、架線が垂下して列車に接触。走行不能となった列車の乗客を、反対側の線路に停車させた車両に移乗して救出しました。現在の東海道新幹線は1編成(16両)あたり2基のパンタグラフを備えていますが、当時の0系は12両編成で6基が必要でした。多数のパンタが高速集電を行うことで架線と相互干渉を起こし、想定以上に疲労劣化が蓄積したことで架線事故、パンタ故障が多発したのです。
そして迎えた冬、今なお新幹線を苦しめる「雪害」に直面します。1965(昭和40)年1月6日、東京都心で5cm以上の積雪を記録する大雪となり、下り初電が新丹那トンネル出口で3時間立ち往生。直後の列車も雪で床下機器が破損し、6時間ものあいだ動けなくなりました。
同9日以降は関ケ原で積雪が始まり、列車の窓ガラスが破損したため、2月3日から70km/hの速度規制を開始しました。モデル線は温暖な小田原にあったため、雪が高速運転に与える影響を十分に把握できていなかったのです。
春が過ぎ、梅雨と台風シーズンが訪れると、新幹線の運行はさらに混乱しました。5月26日には台風6号の影響で沿線全域が100mm以上の大雨となり、各所で築堤の法面崩壊が発生。翌27日は12時25分まで運転を見合わせました。
6月27日の豪雨では37本が運休となりましたが、3日後に雨の影響で線路が約15mにわたり最大80cm沈下した区間が見つかり、仮復旧のために2時間運転を見合わせるという事態も発生しました。その後も7月5日、7日、13日の豪雨、8月22日の台風17号、9月10日の台風23号、同17日の台風24号など、大雨のたびにダイヤが乱れました。
開業1年間で発生した数々のトラブルに対し国鉄は、車両や設備の構造変更や保守体制、速度規制など運転方法の見直しを行い、トラブルは徐々に減少していきました。
同年11月1日のダイヤ改正で、路盤が安定し徐行区間が大幅に縮小したことを受け、当初目標の東京~新大阪間3時間10分運転を開始します。後から思えば最初に「1時間」の余裕を設けたからこそ、無理な運転を避け、段階的な対策を講じることができました。急いては事を仕損じる。一つ方針を間違えていたら新幹線、いや鉄道の歴史は全く変わっていたかもしれません。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx





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