「ここに理想とする高層アパートを建ててください」 山手線の車両基地がある街から実現した都市構想とは

東京の大井町にあるJR東日本の「東京総合車両センター」は、国鉄時代に鉄道の収容数を増やすことを目的として建設されました。隣には国鉄職員用の12階建て宿舎用アパートが建てられましたが、これは都心の高層化の先駆けともいえるものでした。

都心の“高層化”を体現

 大井工場の近代化整備計画にあわせ、大井町に車庫建設が決定しますが、車庫に使える敷地は限られています。そこで1階に留置線13本と検査線、修繕線、洗浄線、2階に留置線24本を備える上下2層構造として最大490両を収容しました。

 南北線王子車両基地や大江戸線木場車両検修場など、2層構造の地下車庫や、銀座線上野車両基地や都営新宿線大島車両検修場など地上と地下の2層構造はありますが、地上2階建ての大規模車両基地は非常に珍しい存在です。

 大井工場の集約再配置で生み出されたスペースは福利厚生にも充てられ、南側敷地の一部に12階建ての職員宿舎用アパート6棟を建設しました。これが広町社宅です。多数の職員を抱える国鉄はこれまでも様々な社宅を整備してきましたが、この規模の高層建築は初めてでした。

 これを担当したのが後に建築家、都市計画家として活躍する国鉄技師の馬場知己です。ある日、“新幹線の生みの親”こと島秀雄技師長に「なぜ鉄道の建築屋は4階以上のアパートを作らないのか?」と問われた馬場は、芝公園で12階建てを検討したが緑地指定の関係で認可されなかったと返答しました。

 島は席を立って大井工場の図面を持ってくると、南側3分の1に赤鉛筆で線を引いて「馬場さん、南側は君にあげましょう。ここに理想とする高層アパートを建ててください」と言ったのです。

 国鉄は1960年代末、都心集中による鉄道の混雑を解消するため、都心100km圏に新幹線を建設してベッドタウン開発を行う「通勤新幹線構想」を検討しますが、馬場は反対派の筆頭でした。彼は莫大な費用を投じて郊外化を促進するより、高層アパート建設など都心の高層化を進める方が効率的と主張します。

 馬場は東京23区だけで有休国有地の総面積が1250万平方メートルあり、ここに住宅公団の7階建てアパートを建設すれば60万戸以上の住宅を供給できると述べています。通勤新幹線は1路線あたり6万人の通勤人口を想定していたので、実に10路線分の人口規模です。

 その意味で、広町社宅は彼の持論を体現する存在でした。さらに2階建ての車庫は将来、3階以上に高層化し、社宅を建設できる構造とされました。1970(昭和45)年に入居開始した都営住宅西台アパート(東京都板橋区)は、都営地下鉄6号線(都営三田線)志村車両基地直上の人工地盤に建設したものですが、同様の形態を想定していたのでしょうか。

 その後、東京都心の高層化が進んだ一方、バブル期にかけて郊外化は都心70km圏まで進展しました。しかし2000年代以降は都心回帰が進み、複合ビルやタワーマンションなど高層建築の建設が加速しました。広町社宅跡地に誕生した地上26階、115mの複合ビル大井町トラックスは、国鉄技師が予見した未来そのものなのかもしれません。

【電車がズラリ】これが東京総合車両センターです(写真)

Writer:

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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