建造されていたら歴史が変わった? 第二次大戦中に投入できなかった各国幻の空母たち
「建造されていたら、歴史を変えたかもしれない」――そのような、第二次世界大戦中の主な未完成空母について触れていきます。
条約の結果がそのまま実行されていたら?
第二次世界大戦中に海戦の主役にまで躍り出た航空母艦は、日本海軍が奇襲攻撃でアメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えた真珠湾攻撃をはじめ、数々の戦場でその威力を発揮しました。これは欧州戦線でも同様です。
こうした強力な兵器である空母ですが、様々な理由により、実戦で戦力として運用したのは日本、アメリカ、イギリスだけでした。今回は「建造されていたら、歴史を変えたかもしれない空母」というテーマで、主な未完成空母について触れていきます。
まず、日本とアメリカで歴史を変える可能性があった「空母」は、ロンドン海軍軍縮条約で認められた「航空巡洋艦」です。アメリカは1930(昭和5)年のロンドン条約成立寸前に、152mm砲9門と長さ102mの飛行甲板を有し、24機の艦載機を搭載する航空巡洋艦の試案までまとめていました。着艦のみで、発艦は条約の規定上でできませんが、そこはカタパルト装備という抜け道がありました。
日本も1932(昭和7)年に203mm砲6門と全通飛行甲板を備えた航空巡洋艦を検討しています。実際、1934(昭和9)年に建造が始まった空母「蒼龍」は、当初基準排水量1万50トン、155mm砲5門、搭載機70機を予定しており、ほぼ巡洋艦の条約上限排水量で、主砲を備えた航空巡洋艦的な性格を持つ艦でした。
結局日本海軍は艦隊決戦での火力を重視し、「重巡洋艦並みの兵装を持つ軽巡洋艦」最上型を建造し、アメリカも対抗してブルックリン級大型軽巡洋艦を建造しました。ただ、巡洋艦保有枠の25%(5万2212トン。つまり1万トン5隻か、8700トン6隻)まで、航空巡洋艦と称して、当初の予定したような蒼龍型の空母を日本が建造していたら、太平洋戦争の序盤の空母保有数は数隻増えた形となり、真珠湾攻撃後の海戦の様相も変わっていたかもしれません。





コメント