建造されていたら歴史が変わった? 第二次大戦中に投入できなかった各国幻の空母たち

「建造されていたら、歴史を変えたかもしれない」――そのような、第二次世界大戦中の主な未完成空母について触れていきます。

改修が始まるもその後たどった運命は…

 イタリア海軍は1924(大正13)年、排水量9000トンの空母建造を国に要求するも拒否されます。1925(大正14)年には排水量1万5000トン、203mm砲を備え、飛行甲板を持ちつつ魚雷艇まで発艦可能なハイブリッド艦を提案しますが、これも拒否されてトレント級重巡となります。

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戦後、解体のために引き上げられた「アクィラ」(画像パブリックドメイン)

 1935(昭和10)年に旧式戦艦の空母改造も検討されますが、船体構造や速力から無理と考えられ、またも否決されます。イタリア海軍の行動範囲は、基本的に地中海に限られていたことと、イタリア半島が地中海から突き出したようになっているため、地上基地から広範囲の航空支援が可能で、基地航空隊で十分と考えられたのです。

 その後、空母の建造案として2万2000トン級と1万4000トン級が計画されますが、イギリスとの対立が深まる中で、大型高速客船「ローマ」を空母化する方が早いとなり、同型船「アウグストゥス」とともに空母化が計画されます。しかし、搭載予定の新型ディーゼル機関の開発に手間取り、改造は先延ばしにされます。

 紆余曲折を経て1940(昭和15)年、ソ連向け大型駆逐艦の機関を転用して、「ローマ」の空母改造が始まります。基準排水量2万3350トン、搭載機51機、30ノット(55.6km/h)の性能でした。「アクィラ」と命名され、1943(昭和18)年に船体と機関がほぼ完成しつつありましたが、工事は中止となります。

 結局、空母建造の本格スタートがイタリアの第二次世界大戦に参戦した後だったことも大きな影響を及ぼしました。

 そもそも、第二次世界大戦のイタリア海軍は空軍とうまく連携できず、イギリス空母にタラント軍港を奇襲されたり、スパルトヴィエント海戦で戦艦や重巡が空母雷撃機に襲撃されたりと、やりたい放題を許していました。

 仮に計画がすんなりまとまり、ディーゼル機関にこだわらずに「ローマ」を早期に空母にしていたら、イギリス空母も旧式のソードフィッシュ雷撃機を当たり前のように発進させることをためらい、イタリア戦艦はもう少し活躍できたかもしれません。

 最後にフランスですが、戦艦改装空母「ベアルン」だけを保有していました。基準排水量2万2146トン、40機搭載、21.3ノット(39.4km/h)という性能でした。速力が遅すぎて、新型の艦載機に対応できず、第二次世界大戦でもほとんど活躍できませんでした。

 フランスはワシントン海軍軍縮条約後に、条約制限いっぱいの2万7000トン大型空母の建造を検討しましたが、社会主義政権の軍備抑制方針で否決、1万3000トンまで排水量を落とすも実現できませんでした。

 1934(昭和9)年となり、基準排水量1万9000トン、搭載機72機のPA13案が出されます。翌年、ドイツがグラーフ・ツェッペリン級を建造し始めたため、デュケーヌ級重巡の空母改造が検討されるも、性能的に不十分と否決されます。

 結局1937(昭和12)年に、ジョッフル級2隻の建造を開始します。基準排水量1万8000トン、速力33ノット(61.1km/h)、13cm両用砲8門、搭載機40機という性能でした。1940(昭和15)年にドイツに降伏した時点で、完成度20%と実現の見込みがない空母でした。PA13案が実現するなどして、第二次世界大戦に空母を有したフランスが参戦したとしても、ほとんど活躍できないまま敗戦を迎えたでしょう。

 ただ、イギリスが、ドイツに降伏したフランス艦隊を攻撃したメルセルケビール海戦で、フランス側に空母がいた場合、イギリス艦隊は史実ほど大胆に戦艦群をフランス艦隊との交戦に投じなかったかもしれません。もっとも、同海戦のフランス海軍はイギリス海軍が砲撃開始するため出港もせず、停泊して攻撃を受けていますから、何も変わらなかった可能性もありますが。

【画像】完成したらこんな感じだった!? これが空母「グラーフ・ツェッペリン」です!

Writer:

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロイラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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