崎陽軒が禁断の「ギヨウザ」ついに発売! なぜ “シウマイ一筋100年”だったのか!? 実はあった餃子との接点
崎陽軒が2026年4月2日に「ギヨウザ」を発売しました。なぜ同社はこれまで餃子ではなく「シウマイ」にこだわり続けてきたのか、その歴史的背景と理由をシュウマイ研究家が解説します。
「焼き餃子」登場でも揺るがなかった崎陽軒の「主軸」
焼き餃子は、第二次世界大戦後、中国大陸で話題となっていた料理を引き揚げた人たちが、東京のヤミ市の屋台で提供されはじめたと言われています。肉やパワフルなインパクトのある旨味の料理が少なかった時代、焼き餃子は東京でも人気を呼び、いわゆる町中華スタイルの定食屋や、ラーメン専門店の増加とともに、全国に広まっていったそうです。
一方、シュウマイは現在の町中華やラーメン店では、餃子に比べて見かける機会が非常に少ないのが現状ですが、餃子人気に押され、なくなってしまったケースはありますが、戦前から営業する町中華や中華料理店では、大半でシュウマイが提供されています。
家庭料理でも、現在は焼き餃子は手作りで作る文化が定着しており、シュウマイはほとんど作られることがありませんが、戦前の家庭用レシピ本を見ると、中華料理においてシュウマイはしっかりと明記され、餃子はあるものの焼き餃子ではなく水餃子がほとんどです。
そうした第二次世界大戦後の急速な流行の変化のなかでも、崎陽軒はシウマイから餃子にシフトチェンジすることはありませんでした。
その理由は、先にも触れた通り、崎陽軒はあくまで主軸は鉄道駅構内の売店であり、電車の中や家に持ち帰って食べるシウマイや弁当、惣菜を販売する会社だからです。
昔ながらのシウマイが誕生してから23年後、そのシウマイを主菜として構成した「シウマイ弁当」を発売。これが崎陽軒=シウマイというイメージをさらに定着させた大きな要因となったことは、今日の同弁当の人気を見れば明らかでしょう。現在、1日約3万食を販売。これは全国の駅弁のなかでも最も売れている駅弁のひとつであり、戦後、今日に至るまで日本の駅弁のシンボル的存在でもあります。
前述の通り、誕生した当時の餃子は今日ほどメジャーではなく、戦後の焼き餃子が登場し浸透し始めても、あくまで焼きたてアツアツを食べるのが前提。一方、崎陽軒はあくまで「冷めても美味しい」シウマイと弁当、惣菜を販売する事業を主軸として展開しつづけていました。そこに餃子が新たな要因として加わる必然性は、あまりなかったのではないでしょうか。





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