「武蔵が沈む…」戦艦「長門」弾薬庫員の証言 “レイテ沖海戦”の地獄と、奇跡の生還劇
乾坤一擲のレイテ沖の一大決戦で帝国海軍のシンボル戦艦「長門」は千載一遇の好機である対米護衛空母戦をいかに戦ったのか。1番主砲塔の弾火薬庫員が綴ったサマール沖の血戦譚!
この記事の目次
・レイテをめざす堂々の艦隊
・大忙しの弾薬供給
・「武蔵」ついに沈む
・敵空母撃沈の報
・帰還途中の「金剛」の沈没
レイテをめざす堂々の艦隊
※本記事は月刊『丸』(潮書房光人新社)1969年2月号に掲載された元「長門」弾火薬庫員・海軍二等兵曹、寺林長吉氏の回想録を改訂・編集したものです。
昭和19年10月21日、ボルネオのブルネイ近海に仮泊中のわが艦隊に、出撃命令が下った。
そのときの艦隊編成は、次の通りだったと思う。「大和」「武蔵」「金剛」「榛名」「長門」の戦艦群、それに新鋭巡洋艦の四戦隊「愛宕」「鳥海」「摩耶」「高雄」、五戦隊「妙高」「羽黒」、七戦隊「熊野」「鈴谷」「利根」「筑摩」、防空巡洋艦の「能代」「矢矧」、それに駆逐艦20隻の堂々たるものだった。
司令長官は栗田中将で、いつもは戦艦が旗艦であるが、このたびはどういうわけか重巡の「愛宕」だ。
総員集合のときに「長門」艦長の兄部(こうべ)少将は、
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Writer: 月刊「丸」編集部
1948(昭和23)年2月に創刊した、80年近い歴史をもつ月刊誌。第二次世界大戦における戦争体験者の生の声を収集し、大戦当時の貴重な写真を掲載。発刊元は株式会社潮書房光人新社。




