世界初の「寝台座席可変電車」583系 なぜ生まれ、消えていったのか(写真10枚) 2017.05.04 杉山淳一(鉄道ライター) 0 ツイート お気に入り tags: JR九州, JR東日本, JR西日本, 国鉄, 夜行列車, 寝台列車, 引退, 歴史, 車両, 鉄道 1 2 3 4 0 ツイート お気に入り 編集部おすすめ記事 夜行「サロンカーあかつき」大阪~長崎間で運転 「長崎DC」10月スタート 「エル特急」いつの間にか影薄く 残りわずか5種 特急大衆化の立役者はいま… 運転経路を当日に突如変更 豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」に何が? 国鉄寝台電車「583系」最後の1編成、4月8日引退 JR東日本 夜行列車、春休みやGWに臨時運行 「サンライズ」増発、「ムーンライト」も 最新記事 後継船はもう造れない!? 日の丸潜水調査船ノウハウの結晶が消滅か… JAMSTECを直撃! 「青いロマンスカー」が“異色ルート”で運行へ 新宿駅の地下ホームに乗り入れも 2月に1日限定 「多数のロシア軍爆撃機」→よく見たら絵でした!? “単純なミス”衛星写真でバレバレに? 船橋市の「新駅」ついに着工へ! 隣の駅は“超難読駅” 開業はいつ? 特急「いにしへ」35年ぶり運行 JR奈良線で臨時運転 コメント コメントをキャンセルコメント(必須) お名前(必須) メールアドレス(必須)※公開されません 13件のコメント NVA 2017/05/05 at 05:25 Reply 583系の実績は記念碑に値するが、715系に改造される昭和58年頃はむしろ失敗作という向きが多かった。59-2.60-3改正時車両の新製を極端に減らしたから715.419系で再起出来た。そうでなければ50系客車のように早期に全廃された可能性も高い。 プリズム 2017/05/05 at 07:21 Reply 前世紀かつ前元号のころ、583系に乗るために「きたぐに」で立山黒部アルペンルートに行った。これが最初で最後の乗車。 プリズム 2017/05/05 at 08:51 夜行「立山」でしたね。 野呂孝紀 2017/05/05 at 09:31 Reply 現行の「サンライズ出雲、瀬戸」も数年後には車両自体の老朽化がクローズアップされるでしょう、その時点で乗客数や収益面で採算ラインに合っていれば大規模リニューアルや新車導入されるかもしれんが、下手すればコスパの観点から廃止されかねない 7743 2017/05/05 at 12:11 Reply 秋田に行くとき、運賃と乗車時間を考えて夜行バスではなく急行津軽にした。583系に乗りたかったのもある。念のため指定席を予約したが、自由席も空いてるので1ボックスを占領し、勝手にベッドへw車掌も判っていて、翌朝客が乗りはじめたら座席に戻すよう言われた。山形の真室川で迎えた朝は忘れられない。総じて気軽な旅行だった。 たびびと 2017/05/05 at 16:43 Reply 583系に乗った時の一番の思い出は、客室は2段目3段目が格納されたカバーや網棚で天井は高いけど幅が狭く、ちょっと圧迫感があったけれど、食堂車は座席車(グリーン車)にある網棚もなく、天井の幅も広くとても高くて開放感・ゆったり感がすごかったことです。あのゆったり感に浸りたくて、食堂車に足を運んだものです。後年、「トワイライト」の食堂車が485系譲りだったので、583系だったらもっとよかったのにとちょっと残念に思ってもいました。 おさらい 2017/05/06 at 23:21 Reply 「寝台座席可変」で車両基地で停まってる時間を減らし、「電車」で折り返しの時間を減らした。つまり最大限走らせる為に造られた車両な訳で、重量を抜きにしても痛みの激しくなる運用をされたはず。更に改造して加減速を繰り返す普通列車で酷使。貧乏国鉄ここに極まれり?「きたぐに」の様な夜行急行と昼行急行(夜行以前に絶滅)が設定できてれば、それが当初想定通りの最もふさわしい運用だったろうに。夜行に座席を混在できたし、特急としては座席の足元狭かったし。(広かったという人は、向かいに誰も座ってなかったのだろう)「きたぐに」で思ったのは「走るカプセルホテル」。3段とも四角い箱空間ではなくて、下段では大きな窓に寄れば上半身起こせて、ちょっと違った意味で特別感はあった。 ぬこあざらし 2017/05/08 at 17:32 なるほど一理ありですね。北陸本線で言えば「立山(昼行)」「ゆのくに」、鹿児島本線は「かいもん(昼行)」、日豊本線は「日南(昼行)」に宛てられていれば、今よりも格段に名車の誉れ高かったかも知れませんね。そして国鉄が存続したか、別の形での継承企業体が営まれていたならば、もう少し早い段階で後継車輌が登場していたか・・・? NVA 2017/05/12 at 07:57 実は国鉄末期はJR以上に夜行列車の投資には消極的だったのでむしろ座席車化して消滅という考えもあったでしょう。14系15形が限定的な投入だった事、当初から個室B寝台を改造で行う(設計時は国鉄時代)点にその考え方が垣間見れます。 Toru 2017/06/19 at 17:01 Reply かっこいい車両だったけど。向かい合わせの席が特急らしく無かった。寝台は高くて乗れなかった。製造当初は目的に合っていたのでしょうが、その後は欠点が目立っていたのですね。 TAKUMI 2018/10/04 at 12:27 Reply パンタ下にだけ唯一あった2段は、1段分の天井が高く、あの解放感が忘れられません。3段の下段では、大窓を占領して、夜の流れゆく景色を眺めたものです。(駅に停まるとホームから丸見えでしたが・・・)懐かしいなぁ・・・ TKO333 2020/07/09 at 23:35 Reply 「北斗星」が満席のため1990年代に「はくつる」として青森→上野を利用しましたが、上段寝台は狭苦しかったです。おまけにスピード出ると揺れは激しい、両側がカーテンなので圧迫感があったりで、正直良い感想はなかったです。やはり寝台特急は絶対ニーズはあるので、週末1往復で良いから上野~札幌間に新世代車両でサンライズエクスプレスを新設して欲しいものです。 あきシュガー 2021/03/19 at 06:34 Reply 581系、博物館で見たい...
583系の実績は記念碑に値するが、715系に改造される昭和58年頃はむしろ失敗作という向きが多かった。59-2.60-3改正時車両の新製を極端に減らしたから715.419系で再起出来た。
そうでなければ50系客車のように早期に全廃された可能性も高い。
前世紀かつ前元号のころ、583系に乗るために「きたぐに」で立山黒部アルペンルートに行った。これが最初で最後の乗車。
夜行「立山」でしたね。
現行の「サンライズ出雲、瀬戸」も数年後には車両自体の老朽化がクローズアップされるでしょう、その時点で乗客数や収益面で採算ラインに合っていれば大規模リニューアルや新車導入されるかもしれんが、下手すればコスパの観点から廃止されかねない
秋田に行くとき、運賃と乗車時間を考えて夜行バスではなく急行津軽にした。
583系に乗りたかったのもある。
念のため指定席を予約したが、自由席も空いてるので1ボックスを占領し、勝手にベッドへw
車掌も判っていて、翌朝客が乗りはじめたら座席に戻すよう言われた。
山形の真室川で迎えた朝は忘れられない。
総じて気軽な旅行だった。
583系に乗った時の一番の思い出は、客室は2段目3段目が格納されたカバーや網棚で天井は高いけど幅が狭く、ちょっと圧迫感があったけれど、食堂車は座席車(グリーン車)にある網棚もなく、天井の幅も広くとても高くて開放感・ゆったり感がすごかったことです。あのゆったり感に浸りたくて、食堂車に足を運んだものです。
後年、「トワイライト」の食堂車が485系譲りだったので、583系だったらもっとよかったのにとちょっと残念に思ってもいました。
「寝台座席可変」で車両基地で停まってる時間を減らし、「電車」で折り返しの時間を減らした。つまり最大限走らせる為に造られた車両な訳で、重量を抜きにしても痛みの激しくなる運用をされたはず。更に改造して加減速を繰り返す普通列車で酷使。貧乏国鉄ここに極まれり?
「きたぐに」の様な夜行急行と昼行急行(夜行以前に絶滅)が設定できてれば、それが当初想定通りの最もふさわしい運用だったろうに。夜行に座席を混在できたし、特急としては座席の足元狭かったし。(広かったという人は、向かいに誰も座ってなかったのだろう)
「きたぐに」で思ったのは「走るカプセルホテル」。3段とも四角い箱空間ではなくて、下段では大きな窓に寄れば上半身起こせて、ちょっと違った意味で特別感はあった。
なるほど一理ありですね。
北陸本線で言えば「立山(昼行)」「ゆのくに」、鹿児島本線は「かいもん(昼行)」、日豊本線は「日南(昼行)」に宛てられていれば、今よりも格段に名車の誉れ高かったかも知れませんね。
そして国鉄が存続したか、別の形での継承企業体が営まれていたならば、もう少し早い段階で後継車輌が登場していたか・・・?
実は国鉄末期はJR以上に夜行列車の投資には消極的だったのでむしろ座席車化して消滅という考えもあったでしょう。14系15形が限定的な投入だった事、当初から個室B寝台を改造で行う(設計時は国鉄時代)点にその考え方が垣間見れます。
かっこいい車両だったけど。向かい合わせの席が特急らしく無かった。寝台は高くて乗れなかった。製造当初は目的に合っていたのでしょうが、その後は欠点が目立っていたのですね。
パンタ下にだけ唯一あった2段は、1段分の天井が高く、あの解放感が忘れられません。
3段の下段では、大窓を占領して、夜の流れゆく景色を眺めたものです。(駅に停まるとホームから丸見えでしたが・・・)
懐かしいなぁ・・・
「北斗星」が満席のため1990年代に「はくつる」として青森→上野を利用しましたが、上段寝台は狭苦しかったです。
おまけにスピード出ると揺れは激しい、両側がカーテンなので圧迫感があったりで、正直良い感想はなかったです。
やはり寝台特急は絶対ニーズはあるので、週末1往復で良いから上野~札幌間に新世代車両でサンライズエクスプレスを新設して欲しいものです。
581系、博物館で見たい...