旧「万世橋駅」のいま 交通博物館の休憩所は階段に カフェ、ビアバーも 東京の「今昔」体感(写真15枚)

交通博物館時代も使われていた! 万世橋駅の階段

 万世橋駅の休止から75年、そして交通博物館の閉館から12年。現在、旧万世橋駅の遺構は、プラットホームが展望デッキ「2013プラットホーム」として開放され、ホームに上がるふたつの階段も、かつての姿を維持した状態で公開されています。

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駅開業当時は中央階段として駅舎につながっていた「1912階段」。次の写真とほぼ同一アングル(栗原 景撮影)。
交通博物館では休憩所として使われていた「1912階段」。戦前はここに駅直結の改札口があった(2006年4月、栗原 景撮影)。
万世橋駅としては7年しか使われなかった「1935階段」。タッチパネル式のディスプレイで、万世橋駅と交通博物館の歴史を学べる(栗原 景撮影)。

 施設の中央にある広い階段は、「1912階段」。開業当初から、赤レンガ駅舎とホームを結ぶ中央階段として使用された階段です。鉄道博物館(旧)が開館してからは、ホームから博物館に直接入れる階段として使われました。

 万世橋駅休止後、ホームに上がる部分は閉鎖されましたが、一部は交通博物館が閉館するまで使われ続けました。交通博物館を訪れたことのある人なら、1階に飲み物の自動販売機が置かれた休憩コーナーがあったことを覚えているかもしれません。実は、その休憩所は、中央階段の下半分を活用したスペースでした。

 中央通り寄りにあるもうひとつの階段は、「1935階段」。鉄道博物館(旧)の建設に伴い1935(昭和10)年に増設された階段です。これは交通博物館が閉館する直前の2006(平成18)年春に初めて特別公開されました。「1912階段」よりも小ぶりで、万世橋駅の利用者が減っていたことを伺わせます。

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1件のコメント

  1. 常陸野ブルーイング・ラボのあった空間は博物館の末期に雛形あきこ主演の戦中を扱うドラマかなんかの撮影をしていたはず