海運会社のビルなぜギリシャ神殿風? 華やかな客船事業の面影残す日本郵船歴史博物館(写真11枚)

時は昭和初期、客船事業華やかなりし時代

 横浜郵船ビルの竣工は1936(昭和11)年。当時、海外渡航といえば船旅が主流であり、そして客船事業は海運の花形ともいえるものでした。日本郵船もまた何隻もの客船を所有し、欧州、米州、豪州などの定期航路に就航させていました。たとえば、いまなお横浜港山下公園の一角に係留され、往時の姿をとどめる国指定重要文化財「氷川丸」も、このころ現役の貨客船として北米航路に就航していました。

Large 181012 nyk 05

拡大画像

山下公園の一角に係留展示されている国指定重要文化財「氷川丸」(2018年7月20日、乗りものニュース編集部撮影)。

 この「氷川丸」は、秩父宮雍仁(やすひと)親王ご夫妻が乗船されたことや、俳優のチャーリー・チャップリンが帰国の船足として利用したことで知られています。ちなみに当時、1000円で家が建つといわれていた時代に、横浜からシアトルまでの片道料金は一等客室で250ドル(約500円)だったそうです。もちろん当時の一般的な生活水準から見れば大変な金額です。

「当時の国策でもあった海外からの観光客を日本に呼び込むため、欧米の豪華客船に匹敵するようなトップレベルのサービスを提供すべく、会社としてもそれなりに費用をかけていたんでしょうね」(日本郵船歴史博物館 館長代理 佐藤芳文さん)

 そのような船なので、当然、サービスも世界に通用するような一流のものが求められます。そのぶん社内教育や人材育成が徹底して行われていたわけですが、その現場が前述の、横浜郵船ビルにあったのです。

この記事の画像をもっと見る(11枚)

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

1件のコメント

  1. 文中の神奈川県立歴史博物館も銀行建築ですな。
    元横浜正金銀行(後東京銀行)の建物。
    …出るというウワサを聞いたことが。