海運会社のビルなぜギリシャ神殿風? 華やかな客船事業の面影残す日本郵船歴史博物館(写真11枚)

今も昔も、食事は旅のお楽しみ

 横浜郵船ビルには当時、3階に船の司厨員(コック)を教育する養成所が置かれていたそうです。

「食事はやはり、長い船旅における大きな楽しみのひとつなので、それを用意するコックの養成にも力を入れていたようです」(日本郵船歴史博物館 学芸員 遠藤あかねさん)

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氷川丸の一等船客に供されていた食事(再現)の一部(画像:日本郵船)。

 たとえば氷川丸の場合、乗船客・乗組員あわせて300人以上の食事を用意するわけですが、これにギャレー(厨房)担当60人が当たっていたそうです。1回の食事につき、1等から3等までの乗客ぶん(3等は人数が多いため2分割)と乗組員用の、計5食を作っていたといい、つまり1日3回で15食ぶんとなります。もちろん、1等船客用にはそれに見合った食事を用意しなくてはならない一方、船は揺れるため、厨房といえど火気厳禁で、調理の熱源はスチームと電気のみという大きな制約があったとのことです。

 ほか、外航船ということで英語などの語学であったり、マナーであったりといった世界に通用するスタッフを育成する場でもあったそうです。

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横浜郵船ビルのエントランスはほぼ建設当時のまま(画像:日本郵船歴史博物館)。
戦前の、横浜郵船ビルの執務風景(画像:日本郵船歴史博物館)。

 そうした場だからでしょうか、ビルの照明器具や入口ドア、階段などにアールデコ調の一流の設えが見てとれます。現在の博物館は2003(平成15)年のリニューアルによるものですが、建築当時を再現しているといいます。

 氷川丸はもちろんですが、この日本郵船歴史博物館が入る横浜郵船ビルもまた、貨客船が縦横無尽に大海原を疾走していた当時の雰囲気をいまに伝えているといえるでしょう。

【了】

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コメント

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1件のコメント

  1. 文中の神奈川県立歴史博物館も銀行建築ですな。
    元横浜正金銀行(後東京銀行)の建物。
    …出るというウワサを聞いたことが。