都心から羽田空港へ直通20周年 ターミナルビル乗り入れで京急はどう変わったか(写真28枚)

京急空港線が羽田空港のターミナルビル乗り入れを実現してから20年がたちました。それまで東京と横浜という関東の二大都市や三浦半島の観光輸送を担ってきた京急は、空港線の開業でどう変化したのでしょうか。

「空港線」名乗ってから35年後に実現

 京急空港線の終点・羽田空港国内線ターミナル駅(東京都大田区)が開業から20年を迎えました。京急電鉄は2018年11月18日(日)、羽田空港第1旅客ターミナル2階フェスティバルコートで開業20周年の記念式典を開催。京急の原田一之社長と京急のテレビCMに出演しているお笑いコンビ「くりぃむしちゅー」のトークショーなどが行われました。

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開業20周年を迎えた京急空港線の羽田空港国内線ターミナル駅(2018年11月18日、草町義和撮影)。

 京急空港線は京急蒲田~羽田空港国内線ターミナル間6.5kmを結ぶ鉄道路線です。1902(明治35)年、穴守稲荷神社の参拝客などを運ぶ路線として開業。戦後は羽田空港アクセス輸送に参入することを目指し、1963(昭和38)年には路線名を現在の空港線に改称しました。ただ、当時の京急は東京都心と横浜方面を結ぶ本線の輸送力強化に力を入れていたこともあり、空港ターミナルへの乗り入れは実現しませんでした。

 1980年代に羽田空港の拡張計画が具体化すると、空港ターミナルへの乗り入れ計画が再始動。1993(平成5)年に羽田駅(現在の天空橋駅)まで延伸開業し、1998(平成10)11月18日には羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅)が開業しました。

 羽田空港ターミナルへの乗り入れが実現してから20年がたち、京急は何が変わったのでしょうか。最も大きな変化は利用者の数です。

 京急や運輸省(現在の国土交通省)の公表資料などによると、現在の天空橋駅まで開業していたころは、1日に約2万人が京急空港線から東京モノレールに乗り換えて羽田空港のターミナルに向かっていました。羽田空港国内線ターミナル駅は開業から数か月間の利用者数が1日平均で1.8倍の約3万6000人に。2017年度には1日で約9万人となり、20年間で2.6倍になりました。

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コメント

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1件のコメント

  1. 引き上げ線には「作るけど使わない」と言う役立て方もある。
    終点の駅ではホームの先に過走余裕が有るか無いかで進入速度の制限が大きく変化するから。