東急田園都市線の車窓に「田園」はあるのか? 実際に探してみた

新都市の開発にあわせて建設された鉄道路線

 いまでは沿線に田園らしい田園がほとんどなくなった田園都市線。その歴史は1953(昭和28)年に当時の東急電鉄会長、五島慶太氏が「城西南地区開発構想」を発表したことにまでさかのぼります。

Large 181210 tkkdento 04

拡大画像

田奈駅付近の車窓からも「田園」が見えた(2018年12月、蜂谷あす美撮影)。

 このころ、現在の大井町~溝の口間を結ぶ東急大井町線があったものの、溝の口以西は標高30mから90mの低い丘陵の合間を縫って大小の河川が流れているような地域。交通手段としては、1日数本の路線バスが乗り入れているだけでした。

 折しも東京では、人口が急激に増えていました。五島氏は「ロンドンやニューヨークが人口膨張の解決策として郊外に衛星都市をつくったこと」を引き合いに新都市、つまり田園都市の必要性を論じたのです。

 その後、東急は1956(昭和31)年に「多摩西南新都市計画」を策定し、土地区画整理事業を行います。山林や原野に覆われていた多摩丘陵が切り開かれ、街づくりに必要な道路、公園、水路などが整備されていきました。

 いっぽう、多摩西南新都心にアクセスするための鉄道は、現在の大井町~溝の口間を結ぶ大井町線の延長計画として整備することに。溝の口~長津田間の工事が始まった1963年(昭和38)年には、多摩西南都市の名称を「多摩田園都市」にすることが決まり、あわせて大井町線が「田園都市線」に改称されたのです。ここに、現在の田園都市線のルーツがあります。

 こうして1966(昭和41)年、溝の口~長津田間が開業し、1984(昭和59)年には現在の終点、中央林間駅に到達。さらに大井町~二子玉川間の分離(大井町線)や渋谷~二子玉川間を結ぶ新玉川線との統合を経て、現在の田園都市線が形作られたのです。

Large 181210 tkkdento 05 Large 181210 tkkdento 06 Large 181210 tkkdento 07

拡大画像

拡大画像

現在の終点、中央林間駅は1984年に開業した(2018年12月、蜂谷あす美撮影)。
大井町~二子玉川間は田園都市線から分離し、再び大井町線を名乗っている(2008年9月、草町義和撮影)。
渋谷につながる地下路線の新玉川線は田園都市線に編入された(2011年3月、草町義和撮影)。

 溝の口~長津田間が開業した当初は5万人だった田園都市線の沿線人口は、10年後には20万人を突破。線路の周囲はビルやマンション、一軒家で埋め尽くされました。こうした経緯を考えると、車窓にわずかに見えた「田園」というのは、田園都市線が建設される前の姿をいまにとどめているといえるのでしょう。

【了】

この記事の画像をもっと見る(8枚)

最新記事

道路交通情報(外部サイト)

  • 「最新の交通情報はありません」

コメント

4件のコメント

  1. 昔と今の沿線の様子を紹介するのであれば、国土地理院の「空中写真閲覧サービス」の出力を使用すればもっとわかりやすかったかもしれません。地図の画像を更新する機会があるのであればご検討いただけるとうれしく思います。

    http://www.gsi.go.jp/kikakuchousei/kikakuchousei40182.html

  2. 現在、東急8500系で運用しているのは、20数本で、大井町線用8639Fが、最近離脱しました。私が小さい頃には、東横線管内を走ってました。東急8500系が見られるのも、後4年ぐらい(予定)となり、写真撮影は引退間際だと、混む可能性が高いため、今のうちをおすすめします。

  3. 先月の11日に、東急8590系の最後の1編成・8694Fを久々に見かけましたが、その同編成車がつい先日、運用から離脱し、これで東急8590系全車が引退しました。残りの8500系も、後3〜4年(予定)しか見れませんので、写真撮影は今の内をおすすめします。

  4. 東急大井町線で運用中の8500系が、つい先日離脱しました。田園都市線・半蔵門線用の8620Fも、最近離脱したばかりでした。
    これから徐々に8500系が離脱される事が予想されるため、写真・動画撮影は今の内をおすすめします。平成から令和にかけて、東急に限らず、東京メトロ車両も新型に置き換えつつあります。