空母「鳳翔」の一部始終 旧日本海軍空母の祖はなぜ「保母さん」と評された?
模索期ゆえの試行錯誤も
世界初の新造空母として誕生した「鳳翔」ですが、実は計画時は空母ではありませんでした。なぜならば、「航空母艦」という艦種ができたのは、同艦が起工される年の春先(1920年4月1日)だったからです。そのようなわけで計画時には特務船(後に特務艦に変更)「龍飛(たっぴ)」として進められ、起工準備中に艦種区分を航空母艦に変更しました。そして「海峡、水道、瀬戸、港湾、岬、半島」の名前から採るとされていた特務艦の名称「龍飛」も、空母は「神話などに登場する空を飛ぶ瑞祥動物(鳳、龍、鶴、鷹)」を由来とすることとなったため、「鳳翔」と改められて完成したのです。
実は、計画時から空母として建造が開始された艦艇としては、イギリス軍の「ハーミーズ」が最初でした。しかし建造途中で第1次世界大戦が終結、イギリスとしては建造を急ぐ必要がなくなったため、その完成は1924(大正13)年にまでずれ込み、結果として1922(大正11)年に完成した「鳳翔」が一番、となったのでした。
さて、完成当時の「鳳翔」の姿を見てみましょう。長さ168.25m、幅22.7mの全通飛行甲板(艦首から艦尾まで一直線で繋がる平らな甲板)に、アイランド構造(島型で小型のもの)の艦橋が右舷前方に備えられました。艦橋のすぐ後ろには、艦載機の離発着に邪魔にならないよう、そして排煙が甲板を覆ってしまわないよう、必要に応じて倒せる起倒式の煙突が3本設置された、堂々たる姿です。全長は飛行甲板と同じ168.25mで、基準排水量は7470トン、速力約25ノット、乗員約550名、搭載航空機は15機+補用6機で、兵装は50口径14cm単装砲が4門、40口径7.6cm単装高角砲が2門、7.62mm単装機関銃が2挺、すべて航空機発着の邪魔にならないよう、艦内引き込み型となっていました。
その後は改装を重ね、1924(大正13)年には艦橋をすべて撤去、煙突も倒した状態で固定され、甲板上は文字通り、まっさらな状態となりました。
我々日本国民にも空母を保有する権利がある。
領海の小さい中国が複数の空母を保持する以上、その半分は最低限保持する権利がある。
ふたたび、竹やりで火炎放射器や機関銃と戦えなどという政治家の存在を許してはいけない。
竹やりへいだけなら、敵にとっては好都合で、戦争をふっかけやすくなるのは自明である。
日本国憲法も、国民も、竹やりではまもれない。
保母さんなんて呼ばれたことはありません。