秘密兵器「酸素魚雷」一斉発射「20発」!? 旧日本海軍の重雷装艦「北上」の一部始終

空前絶後の「重雷装艦」完成、いざ実戦へ

 重雷装艦には、既存の艦を改装することになります。白羽の矢が立ったのは、球磨型軽巡洋艦である「大井」「北上」「木曽」の3隻です。「球磨型」は、おもに機雷や魚雷、爆雷で戦う「水雷戦隊」の旗艦を務めることを目的とし、1917(大正6)年に建造が開始され、「北上」は1921(大正10)年に竣工。1930年代にはすでに旧式化していました。

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1935年ごろに撮影された「北上」。重雷装艦への改装前。

 1936(昭和11)年ころから重雷装艦への改造準備が始まりましたが、秘密兵器である酸素魚雷を主武装とする重雷装艦計画を秘匿するため、「北上」の改造着工は日米開戦がほぼ確実な情勢となった1941(昭和16)年8月まで引き延ばされます。工事は、同年12月には完成しました。主砲は前部に集められた14cm単装砲が4基のみ(改造前は7基)、主武装となる4連装魚雷発射管は、艦の左右に5基ずつ計10基装備しました(改造前は連装管4基8門)。片舷から4連装×5基=20本もの魚雷が同時発射できる空前絶後の艦で、それまでの一般的な駆逐艦の2.5隻ぶんにもなります。

 日米開戦と同時期に完成した期待の重雷装艦「北上」は、満を持して「艦隊決戦」に備えますが、目標だったアメリカの主力戦艦群は、真珠湾で大損害を受け出てきません。1942(昭和17)年の「ミッドウエー海戦」にも参加したものの、日本の敗北で出番はありません。この敗北以降、日本の旗色は悪くなる一方で、魚雷を撃ちまくるような機会は来ませんでした。秘密兵器が大いに活用されることを夢見て造ってみたら、実戦ではサッパリというのは、兵器の歴史ではよくあることです。

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コメント

1件のコメント

  1. ソロモンとか水雷戦は結構あったんだからそこに居たらどんな活躍だったのか。勿体無かった。