秘密兵器「酸素魚雷」一斉発射「20発」!? 旧日本海軍の重雷装艦「北上」の一部始終

「重雷装」実はわずかな期間だった「北上」の、その後

 重雷装艦は魚雷にかたよった武装の「特殊艦」ということで使いづらく、実績も出せなかったため、高速輸送艦に再改造されます。1942(昭和17)年9月に「北上」は、後部左右の魚雷発射管4基を撤去して「大型発動艇」と呼ばれる上陸用舟艇4隻を載せました。結局、重雷装艦だった期間はわずか10か月足らずだったということになります。

 高速輸送艦になった「北上」は、その速度を生かして輸送、護衛任務に付きます。港湾施設が無くても上陸用舟艇で直接、揚陸作業ができたため、重宝されたようです。その後1944(昭和19)年8月に、雷撃で受けた被害の修理のため佐世保に帰還した際、「回天」搭載母艦に再々改造されます。「回天」とは九三式魚雷を改造して人間が操縦できるようにした、特攻兵器です。

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「回天」搭載母艦に改造された「北上」。「回天」を発進させる後部のスロープが見える。
1946年7月、解体のため長崎に入港した「北上」。
1947年3月、長崎造船所で解体中の「北上」(画像:アメリカ海軍)。

 このときの改造では、左右の魚雷発射管は全て撤去され、「回天」を4基ずつ、計8基を搭載可能とし、甲板から海中に発進させるため艦尾もスロープ状に改造されました。主砲も外されて、対空火器のみとなります。改造作業は1945年(昭和20)年1月に完了し、「回天」の輸送と訓練支援を行いつつ、いざ本土決戦となったら攻撃任務に就くことにもなっていました。しかし「北上」は、この年7月の呉空襲で至近弾10発を受けて大破し、航行不能となり、実戦で特攻兵器を発進させることなくそのまま終戦を迎えます。

 大正生まれの「北上」は、時代の流れに翻弄され何度も姿を変えながらも生き残り、終戦直後からは艦船を修理する工作艦として使われ、1947(昭和22)年3月に長崎で解体されました。

【了】

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コメント

1件のコメント

  1. ソロモンとか水雷戦は結構あったんだからそこに居たらどんな活躍だったのか。勿体無かった。