市自ら選んだ「攻めの鉄道廃止」 JR石勝線夕張支線、代替バスはどう「進化」したのか

2019年3月をもってJR石勝線の夕張支線(新夕張~夕張)が廃止され、4月から路線バス「夕張市内線」が装い新たに運行を開始しました。前夕張市長による「攻めの廃線提案」から実現したこのバス、どのような特徴があるのでしょうか。

利用者数はピーク時の16分の1に

 2019年3月31日(土)をもって127年の歴史に幕を閉じたJR石勝線の夕張支線(新夕張~夕張間16.1km)。この鉄路に代わり運行を開始したのが、夕張市に本社を置く夕張鉄道(夕鉄バス)が運行する路線バス「夕張市内線」です。鈴木直道前夕張市長(現北海道知事)による「攻めの廃線提案」から3年弱かけて運行実現に至ったこのバスには、これまでの鉄道代替バスの事例にとらわれない、持続可能な交通体系への実現を成しとげようとする夕張市の姿勢が見えてきます。

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2019年3月31日、運行最終日の石勝線夕張支線。多くの鉄道ファンが沿線に詰めかけた(須田浩司撮影)。

 夕張に鉄道が開通したのは、1892(明治25)年11月。北海道炭礦鉄道室蘭線の支線として追分~夕張間が開通し、その後の国有化により、国鉄夕張線として営業を続けていました。

 その後、1981(昭和56)年10月に石勝線の千歳空港(現在の南千歳)~追分間と新夕張~新得間が開業。新規開業区間と夕張線が統合され、新夕張~夕張間は石勝線の支線という位置づけになります。

 戦後、石炭輸送に支えられていた同線も、炭鉱閉山後の沿線人口減少で利用者が大きく減少。輸送密度(1日1km当たりの平均輸送量)も、2017年の数字で69人/日と、ピーク時の16分の1にまで落ち込んでいました。

 JR北海道の島田社長は、2016年7月29日の記者会見で、厳しい経営環境と北海道内の人口減少などを理由に、鉄道事業を抜本的に見直すため、同年秋までに「JR単独では維持困難な線区」を公表し、地元自治体との協議に入りたい旨を正式に発表。この時点では具体的な路線名、線区の公表はありませんでしたが、利用が大きく落ち込んでいた石勝線夕張支線も対象になると見られていました。

【写真】「夕張支線最後の日」「代替バス最初の日」の様子

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コメント

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3件のコメント

  1. 輸送貨物量を路線図に重ね合わせた図も示さないと片手落ちの感は否めない。
    北海道東部各地から本州方面への農産物輸送を考慮しないまま、旅客だけの視点で廃止の議論をするのは間違っている。

  2. 『現在』の『旅客輸送』だけで見れば、夕張鉄道線の早期廃止はかなり惜しかったのかも?

  3. 人の動きしか見れないのは何故だろう?
    物は?
    旅客が廃止でも貨物線で残さざるをえない路線の代表が函館本線と江差線と海峡線。
    函館本線は室蘭本線不通時のバイパス、石北本線と根室本線も道東の貨物輸送に欠かせない筈。
    宗谷本線も、樺太に近い稚内にはそれなりの潜在需要有る気もする。
    宗谷本線と嘗ての天北線を復活させ、宗谷海峡を海底トンネルで樺太に繋ぎ、樺太の路線を経由してシベリア鉄道に接続する構想も有るぐらいだし。
    もしも実現すれば日本とユーラシア大陸の殆どの国同士が鉄道で結ばれる。
    ロシア側が積極的にやりたがっているが日本側が消極的だ。