強みは速さ、戦艦「金剛」の一部始終 30年以上戦い抜いた旧海軍最後の「帰国子女」
イギリス艦「金剛」日本へ
ようやく計画が動き出した「金剛」は、イギリスの造船会社ヴィッカースで設計・建造されることになりました。明治以降、イギリスを含め諸外国で建造された軍艦を輸入してきた日本でしたが、この「金剛」がその最後の軍艦となり、以後はすべて日本で建造されるようになります。
イギリスで造られた「金剛」ですが、その建造に対して、日本は少し無理なお願いをしています。「『金剛』の建造に当たり、日本人の技術者を派遣し、工事の一切を監督、調査する。またすべての図面を日本は入手し、同型艦は日本で建造する」つまり、「作り方を教えてくれ!」ということです。
本来であれば、独自技術を盗まれるわけですから、なかなか通りにくいお願いです。しかし、ヴィッカースはこの申し出を快く受け入れ、さらに2番艦以降の鉄などの材料の調達までしてくれました。このできごとは、以後の日本の造船技術の発達に大きく貢献したとされています。
1912(明治45)年5月18日、「金剛」の進水式はイギリスで行われました。イギリスでは艦首でシャンパンボトルを割るのが通例ですが、日本式にくす玉を割り、鳩を飛ばしたところ、イギリス人は大いに喜んだといいます。
こうして「金剛」は1913(大正2)年8月16日に竣工し、南アフリカ喜望峰回りで同年11月5日に横須賀へ到着しました。
記事タイトルに「帰国子女」とありますが、イギリスで建造された後に日本にやって来た軍艦ですので、後に日本国籍を取得(帰化)したというのが正しいと思われます。(なお、かの軍艦三笠も同じ経緯をたどっています)