強みは速さ、戦艦「金剛」の一部始終 30年以上戦い抜いた旧海軍最後の「帰国子女」

そのスピードを生かした戦い

「金剛」の建造後、すぐに第1次世界大戦が起こりますが、主戦場はヨーロッパだったため、日本は大きな戦闘には参加せず、中国や南洋諸島のドイツ租借地・植民地を占領し、小艦隊を地中海などに派遣した程度でした。

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第1次改装前の1927年から1928年の間に撮影された「金剛」。煙突に排煙の逆流を防止するためのファンネルキャップを付けている(画像:アメリカ海軍)。

「金剛」も、中国の青島に寄港したのみで終戦を迎えます。そしてその後、2度にわたる大改装を受け、全く別モノと思えるような艦へ変貌を遂げました。最大速力は30ノット、航続距離は9800海里(1万8149.6km)となり、武装も装甲も強化、近代的な高速戦艦として生まれ変わったのです。

 そして、第2次世界大戦が始まりました。開戦時、「金剛」は、現役の戦艦としては最も古い艦艇になっていましたが、その速力を活かし、多くの作戦に参加しました。開戦直後の南方作戦では、「マレー沖海戦」の後にインド洋に進出、クリスマス島への艦砲射撃などを行いました。その後、「セイロン沖海戦」「ミッドウェー海戦」に参加し、北方作戦の支援へと向かいます。

 1942(昭和17)年10月には、ガダルカナル島を巡る一連の戦いで、「金剛」は軽巡洋艦や駆逐艦と共に、アメリカが同島に開設したヘンダーソン飛行場を急襲砲撃し、一時使用不能にします。その後ガダルカナル島から撤退が開始されると、今度はその支援に従事しました。

 また1944(昭和19)年10月の「レイテ沖海戦」では、「金剛」はアメリカ海軍の護衛空母「ガンビア・ベイ」、駆逐艦「ホーエル」、護衛駆逐艦「サミュエル・B・ロバーツ」の撃沈に関与したといわれています。その30ノットの速力を生かして敵艦へと接近、速力の遅い艦艇が数多く撃沈されるなか、魚雷を回避し、次々に敵艦艇を沈める大戦果を上げました。

【写真】1930年ごろ撮影、第1次改装後の戦艦「金剛」

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コメント

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1件のコメント

  1. 記事タイトルに「帰国子女」とありますが、イギリスで建造された後に日本にやって来た軍艦ですので、後に日本国籍を取得(帰化)したというのが正しいと思われます。(なお、かの軍艦三笠も同じ経緯をたどっています)