強みは速さ、戦艦「金剛」の一部始終 30年以上戦い抜いた旧海軍最後の「帰国子女」
そのスピードを生かした戦い
「金剛」の建造後、すぐに第1次世界大戦が起こりますが、主戦場はヨーロッパだったため、日本は大きな戦闘には参加せず、中国や南洋諸島のドイツ租借地・植民地を占領し、小艦隊を地中海などに派遣した程度でした。
「金剛」も、中国の青島に寄港したのみで終戦を迎えます。そしてその後、2度にわたる大改装を受け、全く別モノと思えるような艦へ変貌を遂げました。最大速力は30ノット、航続距離は9800海里(1万8149.6km)となり、武装も装甲も強化、近代的な高速戦艦として生まれ変わったのです。
そして、第2次世界大戦が始まりました。開戦時、「金剛」は、現役の戦艦としては最も古い艦艇になっていましたが、その速力を活かし、多くの作戦に参加しました。開戦直後の南方作戦では、「マレー沖海戦」の後にインド洋に進出、クリスマス島への艦砲射撃などを行いました。その後、「セイロン沖海戦」「ミッドウェー海戦」に参加し、北方作戦の支援へと向かいます。
1942(昭和17)年10月には、ガダルカナル島を巡る一連の戦いで、「金剛」は軽巡洋艦や駆逐艦と共に、アメリカが同島に開設したヘンダーソン飛行場を急襲砲撃し、一時使用不能にします。その後ガダルカナル島から撤退が開始されると、今度はその支援に従事しました。
また1944(昭和19)年10月の「レイテ沖海戦」では、「金剛」はアメリカ海軍の護衛空母「ガンビア・ベイ」、駆逐艦「ホーエル」、護衛駆逐艦「サミュエル・B・ロバーツ」の撃沈に関与したといわれています。その30ノットの速力を生かして敵艦へと接近、速力の遅い艦艇が数多く撃沈されるなか、魚雷を回避し、次々に敵艦艇を沈める大戦果を上げました。
記事タイトルに「帰国子女」とありますが、イギリスで建造された後に日本にやって来た軍艦ですので、後に日本国籍を取得(帰化)したというのが正しいと思われます。(なお、かの軍艦三笠も同じ経緯をたどっています)