戦闘機はなぜ編隊で飛ぶの? 単独行動は原則ナシ、その歴史的経緯と現代における意義
百戦錬磨の零戦乗りたちに勝利した「戦術」
ロッテ・シュバルムの優位性は第2次世界大戦勃発後、敵国を含む世界中へ伝播します。特に太平洋戦争初期のアメリカ海軍において、ロッテ・シュバルムの導入と改良に尽力した人物のひとりであるジョン・サッチは、戦争初期の日本軍優勢だった時期に、たった4機のF4F戦闘機で零戦15機と戦い勝利します。そしてその戦闘について以下のように分析しました。
「我々のF4F戦闘機は日本のゼロに打ち勝つ能力を一切持っていなかった。それでも我々が勝利できたのはチームワークの優勢にあった」
サッチはこの日戦った零戦パイロットらの、連携の悪さとミスの多さを指摘しています。実はその零戦隊は、日本海軍の精鋭中の精鋭、空母「赤城」を旗艦とする第一航空艦隊のパイロットたちでした。
零戦は搭載無線機が事実上、機能しなかったため、連携が困難であるという弱点を抱えていました。その結果、圧倒的物量と名人が操縦する高性能な戦闘機を持ち、質量ともに優れていたはずの日本海軍が、少数かつ未熟なパイロットしかいなかったけれどもチームワークで優秀だったアメリカ海軍に負けてしまったのです(少なくともサッチはそう考えていました)。
その後は日本軍もロッテとシュバルムを導入し、名称もドイツ空軍にならいロッテとシュバルムと、そのまま呼んでいました。2019年現在の航空自衛隊ではアメリカ空軍にならい、2機編隊を「エレメント」と呼び、2個のエレメントを「フライト」と呼んでいます。エレメントとフライトは名称こそ違いますがロッテとシュバルムそのものであり、1930年代の思想が21世紀の現在もなお継承され生き続けています。
ロッテとシュバルムはスペイン内戦に参戦したドイツ空軍が最新のMe109戦闘機を有効活用する為に考案したものです。当時はレーダーによる航空管制が無く敵機の発見はパイロットの目視だよりでしたが、高速機で緊密編隊を維持すると見張りが疎かになりがちでした。そこで基本編隊を2機の緩やかなものとし、それをロッテとしたのです。さらにもう一つのロッテと組み合わせて4機で周囲360度を監視し、敵機の早期発見を図り上空からの一撃離脱戦法に徹して戦果を上げたのです。現代は戦闘の方法が当時とは全く変わっており新たな方式が出て来ても良さそうなものですが、戦闘機乗りは意外と保守的なのかもしれませんね。