旧海軍「一航戦」なぜ公式最強? 空母「赤城」「加賀」時代とその後支えた「五航戦」

運命のミッドウェー海戦とその後

 第一航空艦隊の慢心も、半年足らずのことでした。1942(昭和17)年6月5日から7日にかけての、ミッドウェー海戦に参加した全空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」が失われ、一航戦と二航戦は全滅します。敗北後の空母戦力再編成にて、7月14日付で一航戦は、元五航戦だった「翔鶴」「瑞鶴」、および「瑞鳳」を中心に再編され、事実上、五航戦が一航戦を引き継ぎました。パイロットは一航戦、五航戦出身者が合流していますが、一緒に再編成されることに齟齬があったような話は、特にありません。

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1942年5月8日、珊瑚海海戦にて「レキシントン」から撮影された雷撃後の九七式艦上攻撃機。「翔鶴」の矢野少尉機といわれる(画像:アメリカ海軍)。

 その後、戦局は悪化の一途をたどり、1945(昭和20)年2月11日付の一航戦は、4年前の「チート部隊」の面影も無く、戦艦「大和」、空母「天城」「葛城」「龍鳳」(飛行甲板損傷)「隼鷹」(航行不能)「信濃」(沈没。書類上のみ在籍)という編成で、空母に積むまともな艦載機戦力は残っていませんでした。

 4月7日に戦艦「大和」も撃沈され、一航戦は4月20日に解隊しています。

【了】

【写真】真珠湾攻撃のなかアメリカ艦に衝突した九九艦爆の残骸

Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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コメント

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3件のコメント

  1. 淵田美津雄少佐は、空母「赤城」の飛行長ではなく、飛行隊長です。
    1文字違いですがこの違いが大きいのはよくご存じですよね。

  2. その「1941年12月8日(日本時間)、真珠湾攻撃のため空母「赤城」を飛び立つ零戦」は裏焼き写真ですよ。
    当時の一航戦一番艦搭載機は AⅠ。

  3. よく日本は物量で負けただけなんだと言う愛国奴がいるけど、ミッドウェーは物量的にも日本が勝ってたからただ単に完敗しただけなんだよなぁ