ジェット&レシプロエンジン融合戦闘機なぜ生まれた? 米海軍FR-1「ファイアボール」

アメリカ海軍は、第2次世界大戦中にハイブリッド戦闘機なるものを開発し、部隊運用までしました。「ハイブリッド」といっても現代のハイブリッドカーとは異なるものですが、燃費が重要な要素のひとつである点は同じといえます。

飛行機におけるエンジンの信頼性は超重要

 21世紀の今日、当たり前となったハイブリッドカーは、電気モーターとガソリンエンジンを組み合わせて、おもに低燃費で走れることが大きなメリットですが、過去アメリカ海軍にも異なるエンジンを2基積んだハイブリッド戦闘機がありました。それがFR-1「ファイアボール」です。

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1945年7月アメリカ本土上空を飛ぶFR-1戦闘機。ジェットエンジンで飛行しているため、プロペラは止まっている(画像:アメリカ海軍)。

 ジェット機は第2次世界大戦初期に姿を現すと、その高速性と将来性からドイツをはじめ各国で競って研究開発が進められました。ただし、初期のジェットエンジンは燃費が悪く、信頼性にも欠けるものだったため、その部分を補う技術が必要とされました。

 特に信頼性については、空の上でエンジンストップを起こしてしまえば一大事で、その危険性は陸上や水上の比ではありません。そこで考えられたのが、ジェットエンジンとプロペラ用レシプロエンジン(それまでのプロペラ機で使用されていたピストンエンジン)の両方を積むということでした。

 推進機関がジェットとレシプロの両方あれば、万が一ジェットが停止してもプロペラで飛ぶことができます。また高速であっても燃費の悪いジェットは戦闘時のみとし、それ以外の時はプロペラで飛行すれば燃費の改善も図れます。

 このようなハイブリッド構造は欧米各国で考えられ、アメリカ海軍も1942(昭和17)年末に、ジェットとレシプロの両方を搭載したハイブリッド戦闘機の開発を国内メーカーに要求、採用されたのがライアン・エアロノーティカルのプランでした。

 実機の開発は1943(昭和18)年2月からスタートし、翌1944(昭和19)年6月25日に試作1号機が初飛行に成功します。ただし、この時の飛行はレシプロエンジンのみで行われ、ジェットエンジンは使用されませんでした。

【写真】空母の飛行甲板でテスト中のFR-1「ファイアボール」

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