ジェット&レシプロエンジン融合戦闘機なぜ生まれた? 米海軍FR-1「ファイアボール」

ジェットエンジンの進化でハイブリッドの意味なくなり退役

 FR-1の見た目はいたって普通の戦闘機でした。大きさは全長9.86m、全幅12.19m、全高4.15mで、たとえば零式艦上戦闘機(零戦)二一型の全長9.05m、全幅12.0m、全高3.53mとそれほど変わりません。しかしエンジンを2基搭載しているため、機体重量は自重で3590kgと、零戦の1754kgの倍近くありました。

 それでも最高速度は650km/h、航続距離は落下燃料タンクをふたつ付けた状態で約2610kmと、戦闘機としては問題ない性能だったため、量産化が進められました。

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1945年3月、飛行場に駐機するFR-1戦闘機。機体後部に開いた穴がジェットエンジンの排気口(画像:アメリカ海軍)。

 この最高速度はジェットエンジンを使用した場合で、プロペラ使用時の巡航速度は約250km/hでした。またジェットエンジンで飛行する際はレシプロエンジンを止めるため、プロペラが止まっているのに飛び続けるという、エンジン2基搭載ということを知らなければ不思議に思える姿でした。

 1944(昭和19)年末には、レシプロエンジンをより強力なものに換装したFR-2も計画され、1945(昭和20)年1月にはFR-1が100機、改良型のFR-2が600機、発注されます。また同年5月には完成機によって、アメリカ海軍に最初の飛行隊が新編されました。

 しかし、その年の8月に第2次世界大戦が終結したことで、同年11月までに作られた66機で生産は打ち切られ、残りの630機以上はキャンセルになります。

 1945(昭和20)年11月6日には、護衛空母「ウェーク・アイランド」にて、ジェットエンジン搭載機として初めて空母への着艦に成功しますが、運用開始から2年後の1947(昭和22)年8月1日をもって、FR-1は全機退役となりました。

 ジェットエンジンの急速な進化によって、信頼性や燃費の悪さが短期間で改善されたため、ハイブリッド機を運用する意味がなくなったことが、FR-1の早期退役の理由です。結局、実戦に投入されることは一度もありませんでした。

【了】

【写真】空母の飛行甲板でテスト中のFR-1「ファイアボール」

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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