US-2飛行艇 モノはいいのになぜ売れない? 日本の飛行艇技術 継承困難になる可能性
やがて訪れるUS-2後継機選定 日本の飛行艇は存続できるのか?
インドのモディ政権は防衛装備品の国産化を進めており、同国空軍が運用していたMiG-21戦闘機を後継する新戦闘機の導入計画でも、インドへの大幅な技術移転と、インド国内での生産比率の向上を掲げています。
US-2は、一定の条件付きで防衛装備品の輸出や技術移転を認める「防衛装備移転三原則」で、輸出が認められている「捜索救難」に使用される防衛装備品であり、また安倍政権はインドを、インド太平洋地域と世界の平和と繁栄のために協働する重要なパートナーと位置づけているため、技術移転にあたって大きな問題は生じないと考えられます。
ただ、前述したようにUS-2には多数の新技術が盛りこまれているため、インド国内での生産の実現は難しいと見られています。日本側からは、日本から完成機を輸入して、インド国内では整備やスペアパーツの製造を行なうとの提案もなされていますが、インド側はこの提案に難色を示したともいわれています。
ひるがえって、海上自衛隊はUS-2を導入する際、V-22「オスプレイ」を比較検討の対象としていました。その際はV-22の技術的熟成が進んでいなかったことからUS-2が導入されることとなりましたが、US-2の後継機を選定する際には、再びV-22の導入も検討される可能性が高く、仮にV-22が捜索救難機に選定された場合、新明和工業の飛行艇事業は継続が困難になります。
筆者は以前、US-2のインドへの輸出に携わっていた業界関係者から「US-2そのものをインドに輸出するのは困難であり、US-2の性能と価格を意図的に低下させた『US-3』を日本とインドで共同開発したほうが、インドへの輸出の道が開けるのではないか」との所感を聞いたことがあります。
US-2より能力の劣る飛行艇を海上自衛隊が導入することに対しては、様々な意見があると思います。しかし、1931(昭和6)年に川西航空機が九〇式二号飛行艇の初飛行に成功して以来、90年以上に渡ってつむぎ続けられてきた大型飛行艇の技術を守るという観点で見れば、US-3の共同開発は検討に値するのではないかと筆者は思います。
【了】
Writer: 竹内 修(軍事ジャーナリスト)
軍事ジャーナリスト。海外の防衛装備展示会やメーカーなどへの取材に基づいた記事を、軍事専門誌のほか一般誌でも執筆。著書は「最先端未来兵器完全ファイル」、「軍用ドローン年鑑」、「全161か国 これが世界の陸軍力だ!」など。
日本の国産防衛装備品は他国の同等品と比べて高価だといわれていますが、輸出の販路を拡げることでそんなに量産効果による価格の低下が図れるものなのでしょうか。
また、国防上重要な技術を要する飛行艇ならば、多少高くても自衛隊などが定期的に買い支えるものではないのですか?
AG600の設計にあたっては民間の耐空性基準を採用し、民間機としての型式証明を得ることを前提にしています。
具体的には、アメリカの14CFR Part25に該当する中国航空局CCAR-25が設計基準となっているのです。
この基準は、日本だと耐空性審査要領の第三部にあたりますが、内容が国ごとに違っているというのではなく、ほぼアメリカの14CFR 25をコピーしたものです。
一方、US-2のような「パワード・リフトSTOL機」では、その耐空基準を満足することは絶対にできません。
主翼が前進することで発生する揚力だけではなく、エンジン後流の吹き降ろしも使って機体を支える「パワード・リフト機」は、通常の飛行機とは全く違った特性を持っているからです。
US-1やUS-2の設計は、この「全く違った部分」の安全性を独自技術で確保していますが、それは国際的な基準の評価を経たものではなく、あくまで「メーカーと防衛省が審査して許容した」ものにすぎません。
従って、どう頑張ってもUS-2は自衛隊や海外軍隊以外で使用することはできませんが、AG600であれば普通の飛行艇として運用や輸出が可能なのです。