改造され 硫黄島でF-15やF-4に撃墜され続けた空自の戦闘機F-104J「スターファイター」
硫黄島が訓練環境抜群な理由とは
各種試験と並行して、無人標的機部隊をどこに置くか検討した結果、硫黄島が最適とされます。その理由は、硫黄島が沖縄を含む日本本土から1200km以上も離れており、島の周りは海しかなく、すぐ近くには広い訓練空域が確保されているため、本土ではできない内容の濃い訓練を実施することができるからです。
運用試験は硫黄島でも実施され、1992(平成4)年3月に部隊使用承認が下りると、臨時無人機運用隊が硫黄島基地隊隷下に新設され、2年後の1994(平成6)年3月、正式に「硫黄島無人機運用隊」が発足しました。
UF-104Jは航空自衛隊初のフルスケール、すなわち実機と同じ大きさの無人標的機であり、計14機が保管されていたF-104Jから改修されました。
最初の実弾射撃は1995(平成7)年3月に実施され、各地の戦闘機部隊から派遣されたF-4EJやF-15Jによって3機が撃墜されています。翌年にも何機か撃墜され、1997(平成9)年3月に硫黄島の最後の1機が撃墜されてUF-104Jの運用は終了しました。
こうしてUF-104Jの運用が終わったことで、硫黄島無人機運用隊も同月付けで整理(事実上の廃止)されます。2020年3月現在、航空自衛隊は実機転用の無人標的機を運用していません。
しかし、その面影は静岡県浜松市にある航空自衛隊浜松エアーパーク(浜松広報館)で見ることができます。ここの中庭にあるF-104Jが、実はUF-104Jなのです。同機はテスト機として岐阜基地で試験に供されていた機体のようで、いわば唯一残ったUF-104Jといえます。
ちなみに、F-104Jの翼端の燃料タンクは、F-4EJ改「ファントムII」などが移動を目的として飛行する際、パイロットの持ち物などを収容するトラベルポッド(カーゴポッド)として流用されています。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
UF-104の運用が終了後には、T-2/F-1の無人標的化が予定されていたようですが中止されたようです。
中止の理由は環境保護団体による抗議だそうです、環境保護団体の言い分は無人機の海洋投棄により海が汚染されるからだそうです。
日本の西方の国による大規模汚染には文句を言わずに、自衛隊の無人機にはすぐに文句を言うダブルスタンダードな態度は如何なものでしょうか?
実物大無人機使用におけるミサイル試験は、ミサイル開発時に多大なデータをもたらし国防に貢献します。
現在でもミサイル開発時は無人標的ドローンを使用していますが、此方で抗議が来た事が無いのが不思議です。
勿論ミサイル試験等の場合は、官報により事前通知されていますので知らない言い訳にはなりません。
千葉のゲームセンター 大慶園 には分解された104がゴロゴロ並べてありますね。
解体後の物を鉄くずとして買い取ったのか廃棄を請け負ったのか判りませんが。
昔ですが千葉県市川市死霊園墓地近くのアスレチックゲーセンター脇の道路に無惨な姿でF104が捨てて有りました。この国はそんなこんなで無駄使いです。ドイツ連邦空軍は今でも現役で待機です。スクランブル発射台カタパルトです。凄くかっこいいです。ドイツ連邦空軍にてハルマン大佐と翔びました。エイリヒ・ハルトマンさんです。
国連警察本部総司令官齊田尚芳大佐/警視正です千葉県警成田空港機動隊警備隊隊長特別任務捜査官警視正齊田尚芳。