英本土へ戦車を空輸せよ 独の巨大グライダー「ギガント」 作ったはいいがどう飛ばす?

巨人機「ギガント」をどうやって飛ばすのか…考えてなかったの?

「ギガント」という厳ついニックネームとは裏腹に、重量を減らしてアルミニウムを節約するため翼のほとんどは合板と布で作られており、胴体は木製の桁と金属管構造でした。床は重い積載荷重に耐えられる支柱が付いていましたが、外装は羽布(はふ。密に織った麻布)張りの張りぼてです。斬新だったのが機首の観音開き式扉で、使い勝手が良かったため後に多くの輸送機が採用するようになります。

 要求通りの機体ができましたが、問題はどうやって飛ばすかでした。テスト飛行ではJu90がえい航したものの、馬力不足で最大積載量では離陸できそうにありません。適当なえい航機が無い、そんなことは設計前に気が付けとツッコミたくなるところですが、メッサーシュミットはまた無茶な解決策を考えます。Bf110双発戦闘機3機でえい航し、離陸は補助ロケットを使おうというのです。

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Bf110双発戦闘機3機のえい航による離陸。Me321は補助ロケットを使用しているが見るからに危なっかしい(画像:ドイツ連邦公文書館)。

 やみくもに引っ張るのではなく、えい航索で繋がれた4機の呼吸を合わせ、まずMe321が離陸し、続いてBf110が順番に離陸するという複雑で危険な手順で、滑走距離は約1200m必要でした。記録によると1941(昭和16)年の1年間の訓練だけでも21件の事故を起こし死者15名、負傷者十数名を出しています。そんな苦労をしても飛行距離は400km程度でした。

 さすがに空軍はハインケルにえい航専用機の設計を命じますが、できたのがこれまた異形の、He111爆撃機を2機横に連結した奇想天外なHe111Zでした。見かけによらず安定性は良く、Me321をえい航するには充分な性能でしたが生産機数はわずか10機で、戦力化には程遠い数でした。

 開発目的だったイギリス侵攻作戦は、1940(昭和15)年10月には事実上、中止が決まっていましたが、Me321は200機生産されます。本格的な対ソ連戦が始まると、おもに東部戦線で使われますが、巨大すぎる機体は持て余し気味で、空荷で12tもあるような自力で動けない巨体は邪魔者扱いでした。

【写真】脳がエラーを起こしそうな「ギガント」のえい航機

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