どう決まった? 東京メトロの路線名 半数は公募 案には大手町線や外堀線 いまの何線?
「明治通り線」とはならなかった副都心線
半蔵門線の名称一般公募が行われた1978(昭和53)年時点では、同線は渋谷~青山一丁目間の開業で、まだ半蔵門へは到達していませんでした。しかし、すでに当時、水天宮前までの延伸が予定されており、半蔵門が渋谷~水天宮前間のちょうど中間点になることから半蔵門線に決定したと、営団地下鉄が発行した『東京地下鉄道 半蔵門線建設史(渋谷~水天宮前)』に書かれています。半蔵門線も有楽町線に続き、皇居の西側を通る路線です。その経由地である「半蔵門」が選ばれたということは、「麹町」のリベンジを果たせたといえるかもしれません。
続く南北線は、開業年が営団創立50周年の節目にあたり、将来の民営化も見据えて新しく生まれ変わろうとしている時期であることから、職員の意識向上を目的として、千代田線以来の社内公募で路線名が決められました。そのうち約半数を占めたのが「南北線」。目黒と赤羽岩淵を結ぶ路線として、これ以外には考えられない、ぴったりな名前です。
副都心線でも社内公募が行われ、「明治通り線」「渋谷線」などの候補が挙がるなか、「副都心線」が選ばれ、路線名に決定しました。発表当時は「副都心は死語では」「今や新宿は新都心だ」などの声もありましたが、東京の地下鉄で初めて都心3区(千代田区、中央区、港区)を経由せずに、池袋、新宿、渋谷をつなぐ路線としての位置付けを示しつつ、それら3つの街を同格に扱えるという意味では、なかなかの妙案でした。
あの路線は、もしかしたら違う名前だったかもしれないと思うと、見慣れた地下鉄がいつもとは違って見えてくるかもしれません。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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