安い! 広い! 走りやすい! 「第三京浜」なぜそうなった 首都高横浜北西線の影響は?

そりゃ広いわけだ! 建設の意外な背景

 第三京浜はその名の通り、第一京浜(現在の国道15号)、第二京浜(同1号)に次ぐ、京浜間の交通量増加に対応するための「第三の京浜道路」として建設されましたが、それにあたって、名神の規格を取り入れ、さらに当時計画されていた東名への指針を得るよう各種のテストが実施されたと、『工事報告』には記されています。

 なお、起点の玉川ICは、将来的に延びてくる予定だった首都高「五反田線(2号目黒線のこと)」あるいは3号渋谷線への接続を考慮して、差しあたって都道放射3号線(目黒通り)と同4号線(玉川通り)のあいだに設定されたものでした(日本道路公団東京調査事務所『第三京浜道路調査報告書』)。

 前出の『工事報告』は、着工までの経緯を記した年表で、第三京浜の調査が行われていた1960(昭和35)年8月のできごととして、次のように記しています。

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首都高北西線と第三京浜が接続する横浜港北JCT(2020年1月、中島洋平撮影)。

「建設省より東名高速道路は第三京浜道路を延長せず厚木経由の山手案でゆくつもりである旨の言明あり」

『工事報告』では、これに先立つ1958(昭和33)年には小田原まで航空写真を撮影し、一部の図面を書き起こしたとあり、かつ『第三京浜道路調査報告書』には、東海道の京都方面までの交通量調査資料も付属しています。国道研究家の松波成行さんは、「第三京浜は当初、東名高速の一部として考えられていました」としています(「NIKKEI STYLE」2013年2月1日)。

 その後、放射3号線(玉川通り)沿いに延びてきた首都高3号渋谷線が東名と接続し、2号目黒線は戸越から延びずじまい。暫定的な位置付けだった玉川ICはそのままで、第三京浜は、京浜間のバイパス道路として現在に至ります。

 なお、国土交通省が毎年取りまとめている全国の「渋滞ワーストランキング」2019年度版では、上り線の京浜川崎IC~玉川IC間のみ、平日の午前時間帯の混雑度ランキングにその名が見られます。しかし全体で見れば、東京に接続する放射道路のなかでは、混雑度はかなり低いといえるでしょう。

【路線図】第三京浜と周辺道路 首都高接続で変化

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