フランス製戦闘機「ミラージュ」シリーズのその名のとおり幻影となったボツ機体3選
可変翼機や大型機も 日の当たらなかった「ミラージュ」シリーズ
フランスは超音速VTOL戦闘機と並行して、1960年代半ばからSTOL(短距離離着陸)能力と高い速度性能を兼ね備えた戦闘機の導入を構想していました。開発を要請されたダッソー・アビエーションは、F-14戦闘機などに採用されている「可変翼」の採用によりこの要求を実現できると考えて、ミラージュシリーズ唯一の可変翼機「ミラージュG」を開発することとなりました。
1967(昭和42)年11月18日に初飛行した「ミラージュG」は、マッハ2.1の最大速度や、450mの滑走で離陸できる高いSTOL性能を実証しています。
「ミラージュG」を高く評価したフランス空軍は、核兵器も搭載可能な複座の長距離戦闘攻撃機型「ミラージュG4」の開発に乗り出しましたが、1965(昭和40)年に起こったゼネストで国内経済が悪化したため、より簡素な迎撃機型「ミラージュG8」の開発に方針転換を余儀なくされました。しかし「ミラージュG8」も1973(昭和48)年に発生した第1次オイルショックの影響を受けて開発がキャンセルされ、可変翼を持つミラージュも蜃気楼のように姿を消すことになります。
その後フランスは、前に述べた「ミラージュF1」を導入しますが、同機は小型であるが故に、ヨーロッパの戦闘機商戦でF-16に敗れてしまいました。そこでダッソー・アビエーションは開発中だった「ミラージュ2000」を大型化した「ミラージュ4000」の開発に乗り出します。
「ミラージュ4000」はF-14やF-15に匹敵する大型機で、フライ・バイ・ワイヤを導入するなど両機よりも先進的な設計の戦闘機でしたが、フランス空軍はこれほどの大型戦闘機を必要としておらず、またあてにしていたサウジアラビアなども関心を示さなかったことから、試作機1機が製造されただけにとどまりました。
「蜃気楼」になってしまった3種類のミラージュの開発で培われた技術は、様々な形でその後の戦闘機開発に活用されています。このチャレンジ精神と転んでもタダでは起きないところが、現在もフランスが航空大国の地位を保っているひとつの理由なのかもしれません。
【了】
Writer: 竹内 修(軍事ジャーナリスト)
軍事ジャーナリスト。海外の防衛装備展示会やメーカーなどへの取材に基づいた記事を、軍事専門誌のほか一般誌でも執筆。著書は「最先端未来兵器完全ファイル」、「軍用ドローン年鑑」、「全161か国 これが世界の陸軍力だ!」など。
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