ついには自ら爆弾に WW2期ドイツの多様な要望に応えまくった注文の多い爆撃機「Ju88」
現場の意見からどんどん色々な役目が与えられてしまったJu88
1940(昭和15)年7月から翌年5月まで続いたイギリス本土空中戦、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」のさなかに、Ju88はHe111に代わる形で主力爆撃機を務めましたが、ドイツ空軍戦闘機の航続距離の短さの影響で護衛を受けられない状況が多く、損害は大きかったといわれます。それでもHe111に比べれば損傷率は低かったとか。
やがて、前々から指摘されていた防御火器の貧弱さなどから、爆撃機としては1943(昭和18)年ごろにはすでに限界が見え始めます。しかし、完全な形での後継機の不在などにより、依然として数の上では主力爆撃機の状態が続きます。それどころか、このころから現場での要請により、Ju88の多機能化が進んでいきます。
まず魚雷搭載能力のおかげで、商船などを攻撃し物資輸送を妨害する通商破壊でも使用機会が多くなります。さらに爆撃機としては軽快な点を活かし、一撃離脱専用の戦闘機として使われるものも出てきました。ただ、一撃離脱機としてはほかの純粋な戦闘機の方が性能は良いため結局、昼間は使えないという結論となり、最終的には偵察機や夜間戦闘機として使うことで落ち着きます。なお夜間戦闘機としては、それまで主力であったBf110の生産機数を、大戦末期には追い抜いてしまうほどでした。
また、独ソ戦の激化により、戦車や車両攻撃などを担当する攻撃機として運用してはどうかとカスタム機体まで登場しますが、これは鈍重すぎてテストのみで終了したようです。さらに大戦後期には初心に帰り、Ju88の高速化仕様機であるS型が登場するものの、生産時期が悪く実力を発揮できずに終わりました。
最終的にJu88は「ミステル」という、コクピット部分を大型爆弾に換装したミサイルのような兵器にもされてしまいます。
Ju88全タイプの生産数は1万5000機を超え、これは戦中のドイツ爆撃機で最大の数でした。性能的には、第2次世界大戦の中盤以降にはもう限界が見え始めていたにも関わらず、生産が続けられたのは、爆撃機として同機を刷新できる後継機の不在と、良くも悪くも、様々な注文に応えられる機体がほかになかったからともいえるでしょう。
【了】
※一部修正しました(7月1日6時40分)。
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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