ついには自ら爆弾に WW2期ドイツの多様な要望に応えまくった注文の多い爆撃機「Ju88」
方々からの多様な注文に応えた結果、初期コンセプトとかけ離れるというのはよくあります。軍用機も例外ではなく、なかでもWW2期ドイツのJu88は、注文の数々に対応するうちに様変わりしてしまった機体の代表といえるかもしれません。
高速爆撃機として誕生し様々な要望に応えた爆撃機 Ju88
ビジネスにおいて、顧客ニーズの多様性に対応するため多角化戦略を進めることがありますが、過去には、現場の要請や戦略変化などで、後からどんどんと、機能が多角化してしまった爆撃機があります。それが第2次世界大戦を通して、ドイツ空軍が使い続けたJu88という爆撃機です。
同機は、第1次世界大戦の講和条約として締結されたヴェルサイユ条約におけるドイツの軍備制限が破棄され、同国が再軍備宣言をした1935(昭和10)年に計画されました。「800kg以上の爆弾を搭載でき、戦闘機より速い爆撃機」という要求仕様に応える形で、航空機やエンジンのメーカーであるユンカースが開発を手掛けた双発爆撃機です。
この「戦闘機より速い爆撃機」というコンセプトは、民間機という名目でハインケルが開発し、先に量産化していた双発爆撃機He111にも共通しており、ドイツ以外にイギリスやソビエト連邦などでも同様の爆撃機運用法が考えられていました。そして1936(昭和11)年から開発を始められたJu88は、1937(昭和12)年9月に試作3号機で最大速度523km/hを記録し、要求どおり当時の主力戦闘機だった初期型のBf109を50km/hも上回る記録を出しました。
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