敵艦も味方艦も日本製! レアケースに見舞われた戦前の輸出艦「寧海」「平海」の顛末

主戦場は河川の寧海級姉妹艦 引渡しは上海事変後

 中華民国に輸出された艦艇でも特に数奇な運命をたどったのが、寧海級の「寧海」と「平海(ピンハイ)」の姉妹艦です。

 1930(昭和5)年に中華民国は海軍の近代化に着手し、駆逐艦をイギリス、潜水艦をドイツ、巡洋艦を日本にそれぞれ発注します。

 当時の中国海軍は外洋行動型ではなく沿岸や河川警備型であったため、寧海級巡洋艦も、外洋を行動するいわゆる艦隊型巡洋艦ではなく、艦体は駆逐艦よりやや大きく基準排水量2526トン、武装は軽巡洋艦並み、速力22ノットとやや低速、一番艦「寧海」には水上偵察機も搭載できるという、特殊な大型砲艦でした。艦橋や前楼など艦上構造物はいかにも大きくアンバランスに見えますが、そうしたところは外洋航行を考慮しない河川用砲艦の特徴でした。

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1935年10月に実施された「平海」の進水式での貴賓席。

「寧海」は1931(昭和6)年2月21日に起工、1932(昭和7)年7月31日に竣工します。一方「平海」は1931(昭和6)年6月18日に起工しますが、悪化した日中関係を反映して建造は停滞気味で、竣工は1936(昭和11)年6月18日になります。満州事変や上海事変など日中関係は緊張していましたが、ビジネスライクに両艦は中華民国へ引き渡されました。

 果たして1年後、1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件が発端となって、日中戦争が始まります。

【写真】現存する戦前日本の輸出武器 九六式軽機関銃

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コメント

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2件のコメント

  1. >>戦前の日本は発展途上国であり、自国の兵器調達にも汲々としていたようなイメージがありますが

    戦前というのは具体的に何年の事を言っているのかはわかりませんが、寧海と平海が建造された20年ほど前にはすでに日本は列強になっていたので、少なくとも発展途上国という表現はおかしいです。
    表現や解釈の違いという問題ではなく明らかに事実と異なっていると思います。

    • 工業生産力では結局、終戦まで欧米の足元にも及ばないレベルでした。だから負けたのです。”立派な”発展途上国です。