楠居利彦(鉄道ライター)の記事一覧
Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)
1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。
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【懐かしの私鉄写真】東急の青ガエル、福島じゃ“赤ガエル”だった 「車両すべて入れ替え」前の福島交通
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福島交通飯坂線は、1991年に架線電圧が750Vから1500Vに昇圧され、車両が全て東急7000系に置き換えられました。昇圧前は、東急から転じた“青ガエル”や、自社発注の車両も走っていました。
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【懐かしの私鉄写真】吊掛駆動の元祖 “テレビ電車”も!?「成田空港ができる前」の京成&新京成
プレミアム
現在は「スカイライナー」が走る京成線。成田空港が開港する前の1960年代は、全線改軌工事を経て都営地下鉄との直通運転が始まって間もない頃で、空港アクセス特急ではなく成田へ「開運号」が走るなど、路線の性格も大きく異なっていました。
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【懐かしの国鉄写真】車両が違う?いいからつなげろ! 国鉄の「遜色急行」全盛期 房総の夏
プレミアム
かつて国鉄では、「急行形以外の車両を使用した急行列車」が数多く存在しました。115系やキハ45系などが使用され、輸送力の増強に一役買っていました。ただ一部では不評を買うこともあったようです。
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【懐かしの私鉄写真】電車のるつぼ! 元・小田急 相鉄 営団 静鉄 買収国電…車両がひしめいた日立電鉄 院電の動態保存も
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茨城県の日立電鉄には、改造車も含め各社からのお下がりが大量に在籍していました。1967年6月のツアーでは通常非公開の電動貨車へ立ち入れたほか、鉄道院時代の車両の走行シーンまで撮影できました。
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【懐かしの私鉄写真】新横浜線なんて思いもしなかった!「東急目蒲線」の記憶 旧型車コトコト 都会のローカル線
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東急新横浜線の開業により、新たな直通運転ネットワークの一翼を担うことになった東急目黒線は、その前身を目蒲線といいました。最後まで旧型車が残り、3両編成の列車が行き交った都会のローカル線を懐古します。
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【懐かしの私鉄写真】岩手の路面電車? 花巻電鉄「鉄道線」の記憶 “馬づら電車”は始発駅でチラッと
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温泉地で有名な岩手県の花巻。かつて国鉄花巻駅から、それぞれ鉄道線と軌道線で花巻温泉と鉛温泉へ向かう2本の路線が延びていました。私が乗ったのは鉄道線の方。1965年夏のことです。
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【懐かしの国鉄写真】「はくたか」「あさま」機関車連結で碓氷峠越え 昭和42年 長電の名車「OSカー」デビューの頃
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日を近くして長野へ行った1967年の4月。1回目は名古屋旅行の帰り、2回目は父の使いで勤務先へ行ったついでです。長野電鉄では最新型モハ0形を見られたほか、往復の信越本線では碓氷峠越えの補機EF63の連結や、入換中の8620形なども収めました。
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【懐かしの私鉄写真】大雄山線にて最初で最後の“木造車”体験 小田原では修学旅行色の準急「ながら」に遭遇
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伊豆箱根鉄道大雄山線には木造車が走っている――鉄道趣味誌を見て1966年1月、その年初の撮影として同線へ赴きました。少し足を延ばし、箱根登山鉄道や国鉄伊東線、伊豆急行線もカメラに収めています。
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【懐かしの私鉄写真】「神奈川県のチベット」に東急電車が走った 田園都市線 長津田延伸の日 周囲は原野
プレミアム
東京のベッドタウンとして発展し、いまや多くの沿線人口を抱える東急田園都市線ですが、溝の口~長津田間の開業当時は、造成が始まったばかりの“原野”を2~4両編成の電車が往来する路線でした。
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【懐かしの私鉄写真】小田急で100km超え通学 相鉄にはロクサン 相模線にはC11の時代
プレミアム
新宿~大根(現・東海大学前)間往復100km超えの通学。多くの同級生には苦痛だったようですが、私は教科書と一緒にカメラを持ち歩き、暇を見つけては小田急を撮っていました。後半では相鉄や国鉄相模線も紹介します。