「あってもなくても…」東急目蒲線を覚えているか 直通とは無縁な都会のローカル線
分割で目蒲線消滅 地下化や直通で大変貌
沿線はのどかそのもの。住宅密集地といっても、線路脇には野花が咲き乱れ、線路境界の柵のあたりは近所の人々が植木鉢を並べていました。天気の良い日は車窓から青空と洗濯物がよく見えました。その雰囲気は、いまも池上線や東急多摩川線に残っている気がします。
そんな目蒲線の転機が、前述の目黒線計画でした。1985(昭和60)年に運輸省(当時)の運輸政策審議会答申第7号「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」で、「都営地下鉄三田線と東急目蒲線の相互直通運転」と「東急目蒲線の目黒~多摩川園間の改良、東急東横線の多摩川園から大倉山までの複々線化」が盛り込まれます。これが現在の目黒線です。
東急電鉄は多摩田園都市の大規模開発に成功しました。一方で田園都市線の混雑が問題になりました。そこで、東急電鉄は目黒線を都心直通の第3のルートとして整備します。目黒~多摩川間の線路は高架と地下による立体交差を増やし、各駅のホームを延伸します。また、大岡山駅(東京都大田区)を地下化して、大井町線と目黒線を同一プラットホーム対面乗り換えとしました。田園都市線に大井町線直通列車を走らせ、大岡山駅で目黒線に乗り換えてもらおうという作戦です。
苦労して作ったところであってもなくても同じようなものの蒲蒲線。
多摩川のすぐ近くを走る矢口渡-蒲田間で地下化ですか?
ほとんど狂気の沙汰ですね、ちょっとした大雨でもろくも水没する情景が目に浮かびます。
筆者はWikipediaによれば私と1学年違いの池上線沿線生まれ、私は幼少時から現多摩川線沿線在住で祖父母が池上線沿線、同じ様に小学生から鉄道ファンということで、ほぼ完全に同時代の目蒲・池上線を体験していると思われます。写真も大変懐かしく拝見しました。
新空港線対応で現在の多摩川線から目蒲線の面影が失われるかも、と書かれていますが、東横線から空港方面の直通電車はおそらく途中駅を通過となる(どの駅も地上ではホームの延伸余地は無い 20m 8−10両なんて絶対ムリ まさかの目黒線同等の地下化!?)でしょうから、私はむしろ一層のローカル感を増して行くだろうと考えています。線路の砂利から草ぼうぼうなんて、23区内に他にあります?
かつて大岡山にある大学に世話になっており... この緑の車両、3000系というのですか、記憶にあります。
すごくなつかしいです。たぶん1年のときのみこれだったような(入学年特定か)。
右も左もわからぬ田舎者で、東京へ出てきて山手線(まだステンレス色じゃなかったはず)に何とか乗り、目黒に着いて乗り換えると、このちょっと古めの車両に「あら、大岡山というのは割と田舎なのかな?」とか思った記憶が。その後徐々に東京の地理がわかっていったのですが。
大学の友達も目蒲線やその他東急線沿線に住んでたし、電車の記憶は当時の記憶でもあり。