スバル新車発表なぜJAL格納庫で?「レヴォーグ」と共に展示していた別のスバル製品とは
富士重工が誕生したのも飛行機生産のため
スバルの源流が、航空機メーカーの「中島飛行機」であることは比較的よく知られていますが、太平洋戦争後の財閥解体によってバラバラになった中島飛行機系企業5社(東京富士産業、富士工業、富士自動車工業、大宮冨士工業、宇都宮車両)が再結集したきっかけも航空機を生産するためでした。
この5社は航空機の開発・生産を事業目的とする「富士重工業」を共同出資で設立、のちに富士重工業が5社を吸収合併する形を取り、現在のスバルに繋がる富士重工業が正式にスタートしています。
富士重工業は発足から間もなく保安隊(現在の自衛隊)向けの練習機として、アメリカ製のT-34「メンター」のノックダウン生産およびライセンス生産を始めています。なお、スバルの自動車づくりの原点といわれる「スバル360」の誕生は1958(昭和33)年なので、それよりも飛行機生産の方が4年ほど早かったのです。
現在でもスバルは、ボーイング787以外にもボーイング777Xの中央翼や主脚格納部などにかかわっています。ほかにも民間向けの最新型ヘリコプター「ベル412EPX」をアメリカのベル・テキストロンと共同で開発し、それを基に陸上自衛隊向けのXUH-2多用途ヘリコプターの開発を進めています。
そう考えると、新型「レヴォーグ」の後ろにJALのボーイング787型機が鎮座していたのも合点がいきます。もしかしたら「鶴丸マーク」の下に赤と白のボディカラーのレヴォーグがあったのも偶然ではないのかもしれません。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
コメント