金剛型戦艦4隻「幻のヨーロッパ派遣」 第1次世界大戦でイギリスが欲しがったワケ

「生みの親」が求めた最優秀巡洋戦艦

 しかし、旧日本海軍の期待を背負った「金剛」が竣工した約1年後の1914(大正3)年7月28日、ヨーロッパにおいて第1次世界大戦が勃発しました。そして、イギリスやフランスを中心とするいわゆる「連合国」と、ドイツを中心とするいわゆる「同盟国」のあいだで起きたこの戦争は、瞬く間に世界中を巻き込んでいきました。

 20世紀初頭の当時、大国として「七つの海の覇者」を自負するイギリスは、世界最大の規模を誇る大艦隊(グランドフリート)を擁していたものの、対するドイツも、時の皇帝カイザー・ヴィルヘルム2世の尽力で、世界第2位の大海艦隊(ホッホゼーフロッテ)を擁しており、まさにヨーロッパの海で睨み合いが起きていたのです。

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第1次改装前の戦艦「金剛」。1920年代半ばの姿である(画像:アメリカ海軍)。

 イギリスとしては世界最大最強の海軍を擁しているといっても、敵であるドイツを侮ることはできません。そこで、時の外務大臣エドワード・グレイを通じて、かつてロシアの極東進出を阻止するべく日本と結んだ軍事同盟である日英同盟に基づき、イギリス側が全ての補給に責任を持つので、海軍力増強のために日本が誇る巡洋戦艦4隻の艦隊、すなわち第2艦隊第3戦隊をイギリスのために貸し出してくれないかと打診してきたのです。

 日本も日英同盟に基づき大戦勃発の約1か月後、1914(大正3)年8月23日に、ドイツに対して宣戦を布告しています。とうぜん、日本にとってイギリスは大事な同盟国であり、なおかつ日本海軍にとってイギリス海軍は育ての親のような存在のため、申し出を無下にすることはできません。

 しかし、それを勘案しても地球の反対側ともいえる大西洋に、ある意味「虎の子」の最新最強の戦隊(艦隊)を長期間派遣することは、国防上の観点から無理な相談でした。

【写真】実際にヨーロッパに派遣された巡洋艦「明石」

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