B-29と朝鮮戦争の空 迎え撃つは戦後ジェット戦闘機MiG-15 その勝負の行方は…?

「ミグ回廊」とB-29

 そのころの北朝鮮軍はというと、そもそもジェット戦闘機を操縦して実戦参加できるようなパイロットはほとんど居らず、MiG-15を操縦していたのは公然非公式参戦のソ連軍人と、義勇軍と称した中国軍人でした。米ソの直接対決を避けるため(そもそもソ連は国連の常任理事国)、公式にはソ連は参戦していませんでしたので、第64戦闘航空団の隊員は中国軍の軍服を着用し形ばかり中国軍を偽装しましたが、ソ連軍の関与はいわゆる公然の秘密でした。

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1951年にB-29から撮影された、迎撃に上がって来た3機のMiG-15(画像:アメリカ空軍)。

 1950年11月1日、B-29は「ミグ回廊」で初めてMiG-15と相まみえます。このとき撃墜されたB-29はありませんでしたが、日本軍戦闘機とは全く違う相手にアメリカ軍は危機感を持ち、F-84やF-86のジェット戦闘機が護衛に付けられるようになります。

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国立アメリカ空軍博物館の朝鮮戦争コーナーで並んで展示されるF-86A(左)とMiG-15(画像:アメリカ空軍)。

 この危機感が現実となる時が来ます。1951(昭和26)年4月12日、39機のB-29が、F-86を含む約100機の戦闘機の援護を受けて鴨緑江に架かる橋梁を爆撃しようとしていました。この橋梁は日本が植民地時代に架けた頑丈なもので、中国から北朝鮮へ支援部隊や軍需品を送る重要な補給線となっていました。これを44機のMiG-15が迎撃します。

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1951年10月27日にMiG-15の迎撃を受け、主翼フラップに機関砲弾が命中するもそのまま生還したB-29。この日B-29も2機のMiG-15を撃墜したという(画像:アメリカ空軍)。

 このときB-29は、爆撃精度を高めるため低高度域を飛んでおり、そしてこれが仇となりました。10分超の空中戦で、アメリカ軍は2機のB-29が撃墜され、8機が被害を受け、戦闘機を合わせると27機が撃墜されるという損害を出します。ソ連のパイロットは、爆撃機12機と戦闘機1機を撃墜し損失は無しと報告しました。

 この日は「ブラックサースデー(暗黒の木曜日)」と呼ばれることになります。以降MiG-15の脅威が本格的に認識され、B-29は低高度爆撃を避け、高高度爆撃や夜間爆撃へシフトしていきました。

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