東京~札幌2時間半「夜行飛行機」なぜ消えた 運賃も夜行列車並み 庶民の味方だった

夜のあいだに移動できるから大人気

「オーロラ」の好評を受け、JALは1960(昭和35)年に東京~福岡間を結ぶ「ムーンライト」も開設。運賃はなんと30%割引とさらに安くなり、のちに大阪(伊丹)経由便も設けるほどの人気を博しました。

 1962(昭和37)年春からは「列車なみになった割引運航便」というキャッチフレーズとともに「オーロラ」「ムーンライト」両便の運航期間を拡大。翌1963(昭和38)年にはDC-4と同じプロペラ機ながら、クーラーも効き客室も与圧を備えて快適なダグラスDC-6BとDC-7Cに交代します。この2機種はもともと国際線で使われていた機材で、国際線のジェット化に伴い国内線に転用されたものでした。

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JALのダグラスDC-6B。座席数は36から58席(国際線仕様)で、巡航速度は450km/hだった(作画:リタイ屋の梅)。

 当時は東海道新幹線が開通する前であり、東京~大阪間で比較すると、在来線の電車特急「こだま」1等(現在のグリーン車)の場合、6時間半かかり約3900円(当時)だったのに対し、JALの「ムーンライト」なら1時間半で4200円(当時)。ホテル代も節約できるとあって、ビジネスマンやテレビタレントなど幅広い層から人気を集めます。ただし夜行便として出発が遅かったため酔客が多く、昼行便とは機内の雰囲気が少し違ったようです。

 JALの国内線がボーイング727とコンベア880によってすべてジェット化された1967(昭和42)年以降、「オーロラ」と「ムーンライト」は日本国内航空(のちの東亜国内航空、現JALグループ)のプロペラ機YS-11にバトンタッチします。

 気になる運賃も、東京~札幌間でJALやANA(全日空)のジェット機が70分で1万2900円(当時)のところ、YS-11では2時間20分と時間はかかるものの、価格は9500円(当時)とお手頃なまま。この割安価格が支持されたことで、さらに札幌~東京~大阪(伊丹)を結ぶ新たな夜行便として「ポールスター」も設けられるなど、夜行飛行機の人気は変わりませんでした。

【写真】JALが初めて自社保有したダグラスDC-4

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コメント

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2件のコメント

  1. 昔フランス国鉄総裁が新幹線があるのに東京大阪間のあの距離に旅客航空路が残っていることに驚いたとのことです。

  2. 夏休みなどのシーズンに通常は貨物便として深夜に飛ばしている機体で客扱いをする例があるようです。