東京~札幌2時間半「夜行飛行機」なぜ消えた 運賃も夜行列車並み 庶民の味方だった

一気に消えた夜行飛行機 背景に空港と社会の変化

 しかし、このころになると空港の騒音問題が、いわゆる公害として問題視されるようになりつつありました。実際、1969(昭和44)年以降、伊丹空港の周辺住民が夜間の飛行差し止めなどを求めて国を相手に訴訟を起こしたり、伊丹市自身が1973(昭和48)年10月1日に「大阪国際空港撤去都市宣言」を掲げたりしています。

 このような世相を受け、1974(昭和49)年に国内線の夜行便はすべて廃止されました。しかし、それから50年近く経ち、海上空港の整備や滑走路の沖合移設、静粛性の高い新型機の登場などにより、いまでは羽田を始め、関空やセントレア(中部)、新千歳、那覇、北九州など各地の空港が24時間化されています。

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JALのダグラスDC-7C。JALはジェット旅客機導入までの中継ぎとして、計5機を保有。座席数は48から72席(国際線仕様)、巡航速度550km/h(画像:JAL)。

 飛行機の深夜便は、目的地の空港に着いた先の交通手段をどうするかが課題でしょう。しかしながら、時には夜空を見上げて当時の夜行便の様子を想像するのも面白いかもしれません。

【了】

【写真】JALが初めて自社保有したダグラスDC-4

Writer: リタイ屋の梅(メカミリイラストレーター)

1967年生まれ。「昭和30~40年代の自衛隊と日本の民間航空」を中心に、ミリタリーと乗りもののイラスト解説同人誌を描き続ける。戦後日本史も研究中。

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コメント

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2件のコメント

  1. 昔フランス国鉄総裁が新幹線があるのに東京大阪間のあの距離に旅客航空路が残っていることに驚いたとのことです。

  2. 夏休みなどのシーズンに通常は貨物便として深夜に飛ばしている機体で客扱いをする例があるようです。