なぜ多い? 駅弁「とりめし」「かしわめし」 九州から全国へ 100年ベストセラーも
300年前からブランド鶏が? 九州と「鶏肉」の切り離せない縁
福岡周辺で鶏食の文化が広まったきっかけは江戸時代中期、享保年間に起こった大飢饉で財政が悪化した福岡藩(黒田藩)が、農家や下級武士にニワトリの飼育を推奨したことにありました。養鶏で藩の財政を立て直す政策じたいは他の藩でも行われていたことですが、福岡藩では貿易港・博多に入った軍鶏(シャモ)など外来種との交配で品種改良が行われたり、長崎から西洋の食文化の情報が入ったりしており、物流・情報面で他藩よりかなり有利だったと言えます。
品質の良い卵は国名を冠した「筑前卵(宗像卵)」として上方(大坂)などに出荷され、また博多に集まったノウハウによって、肉・卵ともにさまざまな調理法が普及していきました。博多の夏に欠かせない「博多祇園山笠」(2020年は開催見送り)は神社の奉納行事であるため、いまでも前日に四つ足の動物(牛・豚など)ではなく鶏肉でスタミナをつける「かきて」(山笠を担ぐ人)もいらっしゃるのだとか。また福岡市内にはニワトリを御神体として祀る「鶏石(けいせき)神社」もあるなど、この地と鶏食の関係の深さを伺わせます。
これだけ鶏料理が身近にある環境で、鶏料理の駅弁が開発されるのは、ある意味必然だったのではないでしょうか。鶏肉・卵・刻み海苔による現在のような3色タイプの駅弁の起源は、1913(大正2)年に鹿児島本線 鳥栖駅で発売した「光和軒」(現在の「中央軒」の前身)の「かしわめし弁当」にあると言われます。その後1921(大正10)年に折尾駅の「かしわめし」が発売されるなど、そのスタイルは時間をかけて九州一円に広がっていきました。
しかし同じ3色のかしわめし弁当でも、各社ごとに「旨味と歯ごたえを味わうため飼育日数が長い鶏の肉を使う」(折尾駅 東筑軒)、「煮た鶏ささみをスライス状にして並べる」(西都城駅 せとやま弁当)、「煮卵付き」(北九州駅弁当)、「刻み海苔のかわりに椎茸の煮物」(宮崎駅弁当「元祖椎茸めし」)など、個性を挙げていくとキリがありません。
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