妙な路線名、あるのになかった幽霊駅…東京の鉄道「平成の珍風景」5選

今では見られなくなった東京の鉄道風景のうち、考えてみるとヘンテコに思えるものもいくつかあります。その多くは、都市開発に伴う新路線建設に伴って生まれたものでした。

一筋縄ではいかない「不思議」な鉄道風景

 活発な都市開発に伴い、東京の鉄道風景も変化を続けています。今は見られなくなったもののうち、振り返って考えると「奇妙に思える」ようなものもあります。

なぜ?ひとつの路線に名前が二つ…「東急新玉川線」

 渋谷駅と中央林間駅を結ぶ東急田園都市線のうち、渋谷~二子玉川間は2000(平成12)年まで「新玉川線」という別の路線名が付けられ、列車はほぼ全て直通するのに途中で名前が変わる「名ばかり別路線」となっていました。

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「新玉川線」の前身である路面電車「玉川線」のデハ200形。

 これは、かつてこの区間が路面電車であったことに由来します。玉川線は「玉電」の愛称で親しまれ、砧線とともに世田谷区民の足となっていました。首都高3号渋谷線の建設を機に、路面電車は廃止され、営団地下鉄(現:東京メトロ)半蔵門線との直通運転を前提に、地下線が建設されます。そして1977(昭和52)年、「新玉川線」が開業し、ほどなく、二子玉川園駅(現:二子玉川駅)からつきみ野駅まで伸びていた田園都市線との一体運行が始まりました。

 23年間続いてきた「名ばかり別路線」状態は、やはりややこしいとの声があったのでしょうか、2000年のダイヤ改正で解消。田園都市線に名称が統一されました。ちなみにこの時、同時に「目蒲線」も、多摩川駅を境に東急多摩川線と目黒線に分割されています。

なぜ? あと一駅なのに…「東武伊勢崎線・業平橋行き」

 東武伊勢崎線(スカイツリーライン)にはかつて、浅草駅の一つ手前にある業平橋駅(現:とうきょうスカイツリー駅)を発着する列車があり、地上に別途設けられたホームで乗降が行われていました。

 すぐ隣の浅草駅まで行かなかった理由は、輸送能力向上のため10両編成となった電車が、狭い浅草駅に入れないためでした。また、業平橋駅から都営浅草線の押上駅へ乗り換える客も多く、大きな不便というわけではなかったようです。

 2003(平成15)年に東京メトロ半蔵門線が水天宮前から押上まで開通、同時に東武伊勢崎線との直通運転も開始され、業平橋駅発着の電車は無くなりました。使われなくなった地上ホームも、広大な貨物ヤードとともに、東京スカイツリーの建設に伴う再開発に伴い、姿を消しました。

【写真】JRまでだいぶ遠かった…ゆりかもめ「新橋(仮)」駅

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コメント

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3件のコメント

  1. 根岸線、と思ったが東京と書いてあった…(汗)

  2. 有楽町新線は西武池袋線だけでなく東武東上線も直通していましたね。
    なので「3種類の池袋駅に乗り入れる」のは西武だけでなく東武も同じ事が言えましたね。

  3. 渋谷〜二子玉川園は加算運賃区間だったから、運賃計算が異なるので別の線名にしていたはず。加算期間が終了して線名を分かる必要性がなくなり、運転系統に合わせてわかりやすくするためこの区間も田園都市線に統一したのでは。