「空中空母」はロマンに非ず アクロン号 ズヴェノー…実在例とそれが生まれ廃れた経緯

爆撃機に子機を搭載する方式はその鈍重さが問題に

 同じ1930年代にはソビエト連邦でも「ズヴェノー」と呼ばれる計画が立ちあがり、戦闘機の空中運用が考えられました。これは、パラサイト・ファイター(寄生戦闘機)と呼ばれる、機体を翼に搭載した親子飛行機といった方向性のもので、爆撃機と護衛戦闘機の航続距離の差を解決するために生まれました。ツポレフ TB-1を母機にして、パラサイト・ファイターを2機から5機搭載したこの機体は、1931(昭和6)年から1937(昭和12)年までのあいだに複数のタイプが試験飛行します。

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ツポレフ TB-3の翼下に2機のポリカルポフ I-16を吊り下げた「ズヴェノーSPB」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 実は実戦経験もあるといわれており、1941(昭和16)年7月にルーマニアの石油パイプラインへの爆撃に、左右の翼にポリカルポフ I-16戦闘機を搭載したズヴェノー計画の派生機、「ズヴェノーSPB」が参加したといわれています。

 しかし、無駄な「重り」を搭載して飛ばなければいけない関係上、制空用の戦闘機を搭載しているにも関わらず、周辺の制空権がないと使用できないという欠陥を抱えており、ドイツ空軍の攻勢が激しくなると、運用できる場所をほぼなくしてしまいました。

【写真】空中空母「アクロン号」の格納庫におさまるF9C-2戦闘機

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コメント

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2件のコメント

  1. 楽しみ!

  2. ガウ と ドップ