復活「多摩湖駅」 なぜ西武は3線も多摩湖へ向かっているのか 物語る「競合」の歴史
郊外に行楽施設を持たなかった西武鉄道
都心から西へ延びる私鉄各社は当時、郊外への日帰り旅行ブームにあわせて、清流での川遊びの人気が高かった多摩川の近くに、直営や関連会社による遊園地を造っていました。例えば東急沿線の二子玉川園(1922〈大正11〉年~1985〈昭和60〉年)、多摩川園(1925〈大正14〉年~1979〈昭和54〉年、京王沿線の京王閣(1927年~1944〈昭和19〉年)、小田急沿線の向ヶ丘遊園(1927年~2002〈平成14〉年)などです。
現在の西武沿線には豊島園(東京都練馬区、1926〈大正15〉年~2020年)がありましたが、他の私鉄会社のように、沿線郊外に行楽施設がありませんでした。そうしたなか、当時の東京市が自社沿線郊外に湖を造ってくれたのですから、これを利用しない手はない、というわけです。
しかしすぐに昭和10年代、戦争へと向かう時代となってしまいます。戦後の1950(昭和25)年、郊外に待望の「西武園ゆうえんち」が開園します。ユネスコ村(1951〈昭和26〉年~1990〈平成2〉年)も現在の西武球場前駅近くにでき、両施設を結んで蓄電池で走る「おとぎ電車」も走り出します(後の西武山口線)。同線では1972(昭和47)年、新潟県上越市を走った軽便鉄道「頸城鉄道」などから貸与されたドイツ・コッペル社製のSLも運行を開始しました。筆者(内田宗治:フリーライター)にもこの当時、多摩湖周辺は輝いて見えました。
西武園ゆうえんちは、1988(昭和63)年度には年間194万人が来場しましたが、2018年度には49万人にまで減少してしまいます。レジャーの多様化や施設の老朽化などもあり、多摩湖周辺の存在感が薄れた印象となっていました。
西武園ゆうえんちは2020年11月に休園し、現在は「心あたたまる幸福感に包まれる」をコンセプトに、1960年代をイメージしたリニューアルを行っています。2021年春に開園予定で、多摩湖の駅名復活とともに、周辺の魅力の復活が大いに期待されます。
【了】
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
1979、狭山湖に「西武ライオンズ球場」がオープンされて「多摩湖」駅から「西武遊園地」駅に改名されたが、1985に山口線の「レオライナー」が開通されて「遊園地西」駅が開業されたからに対し、その上「遊園地西」駅近くに「西武園ゆうえんち」西口のちゃんとしたエントランスを改造するからこそ駅名を「遊園地西」駅から「西武園ゆうえんち」駅に意識され、これまで中央口だった「西武遊園地」駅は階段が長くて大変だったにして再び「多摩湖」駅に戻ってしまうんだ。