「昔の鉄道」過去に戻れたら何に乗りたい? ブルトレ、食堂車、懐かしの新幹線…703人の声
過去に戻って鉄道で行きたい場所、または乗りたい列車に関するアンケートを実施。様々な回答が集まりましたが、多数の声を集めた列車や車両、路線が浮き彫りになりました。
懐かしい列車、憧れの列車
「乗りものニュース」では2021年2月10日(水)から15日(月)にかけて、過去に戻って鉄道で行きたい場所、または乗りたい列車に関するアンケートを実施。703人から回答が集まりました。その中から、特に多く集まった回答、印象的な回答を紹介します。
「ブルートレイン」や寝台列車に乗りたい!
寄せられた回答の中で圧倒的多数だったのが、「ブルートレイン」をはじめとする寝台列車に乗りたい、という声でした。
寝台列車は明治時代から運行されていましたが、1958(昭和33)年に国鉄20系客車を用いた「ブルートレイン」の登場で、百花繚乱の時代を迎えました。しかし、夜行バスの普及などもあり次第に利用者は減少。2015(平成27)年の「北斗星」の廃止で、ブルートレインの歴史は終焉を迎えました。
その寝台列車の「黄金時代」を懐かしむ声は多く……
・1970年代の上野駅で、ひっきりなしに出入りする客車の夜行急行を眺めたり乗車したい。特に10系客車。
・子供のころ帰省で良く乗っていた。 最上段で、踏切の音とかが今でも記憶に残っている
・遅くまで寝ずに外を見ていたあの頃をもう一度味わいたい
・30年前に一度乗りましたがワクワクして眠れませんでした。通路の椅子に座って友達といつまでも話してました。
など、子供の頃に乗った時の高揚感を追体験したいという声が40代~60代で見られる一方、
・大きくなったら乗れると親に言われていたが、大きくなったらなくなっていたから
・家の近くを走っていた、寝台特急ゆうづるに乗りたい。高校大学社会人となった頃には、乗ることなく、廃止されてしまったから
などという、「自由に乗れる大人になった頃にはもう遅かった」という声は、20代~30代で多く寄せられました。
「横軽」に乗ってみたい!
信越本線の廃止区間である横川~軽井沢間、通称「横軽」に乗りたいという声も、10代から60代まで幅広く見られました。
「横軽」は関東と北陸を結ぶ最初の鉄道ルートとして1888(明治21)年に開業。途中の碓氷峠(うすいとうげ)にある最大勾配66.7パーミルという急勾配を克服するため、ラックレールを歯車に噛ませて進む方式が採用されました。
やがて碓氷峠越えは、489系電車や189系電車が、機関車との「協調運転」により上り下りする時代になります。異例の急勾配に備えた「横軽対策」と呼ばれる特別仕様の車両が開発されるなど、日本の鉄道の粋が集められた名所でした。
1997(平成9)年、北陸新幹線の高崎~長野間(当時の呼び名は長野新幹線)の開業に合わせ、この区間は惜しまれつつも廃止となります。名物の碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」を含めた遺構は今でも鉄道名所となっています。
1994年に初めての遠距離出張で神戸に行き、帰りの新幹線が100系だった。
疲れてたので自由席の3列シートに寝てきた。
そんなリーマンが多いため車掌も混んできたら普通に座れと言うだけでお咎めなし。
しかし、運賃そのものは会社で持ってくれるのだから、ダブルデッカーのグリーン車と食堂車を楽しむべきだった。
一応、いろんな車輌や路線に乗ってるが、一番後悔してるのはこれだ。
3シリンダーのC53が牽く特急燕の3軸ボギー車とか。阪神急行の510と新京阪のデイ100とか。もっと下って複線機械式自動閉塞を見るとか。未電化の横軽とか。
鐵ヲタが日陰の頃に戻りたい。
今は・・・、疲れたよ。
んじゃ、サンライズが無くなったら鉄オタはとてもとても悲しむわけだ
新幹線でも飛行機でもバスでもいいから
客を奪って滅ぼしてほしいな
どの意見も、染み入ります。
夜行も良いですが、私は、あえて、旧国鉄・JRの113系の房総ローカルに乗りたい。
生まれる前から大人になっても当たり前に走っていた、あの113が房総を走らなくなる日を想像することなどできなかった存在でした。場所によってはまだ走っていますが、房総ローカルのスカ色に潮の匂いは、もう永遠に戻ってこないものです。
「ブーン」という騒々しいモーター音、カチコチとした乗り心地…113に乗ってごく普通な日々を過ごし、彼女と(いなかったが)通学したかった。
失った当たり前の、あまりに大きいことを感じます。