「オートバイ」という概念の最果てにある「ケッテンクラート」 誕生の経緯とその顛末
バイクのようでバイクじゃない、かといってバイクのアイデンティティは持っている、そのような乗りものがWW2期ドイツで生まれた「ケッテンクラート」です。現代には生き残っていない絶滅種、なぜ生まれ、消えていったのでしょうか。
森林地帯を馬のように駆ける「履帯式」オートバイ
第2次世界大戦では、前輪がタイヤ、後輪が履帯(いわゆるキャタピラ)の「ハーフトラック」という車両が多く使われました。道路を高速で走れ、悪路も走破できるという、タイヤと履帯のよい所を併せ持つことを目指しましたが、エンジンのパワーアップや走行装置の性能向上により、現在ではほとんど見られなくなった車両です。なお、「ハーフトラック」の「トラック」は「track」、つまり履帯を意味します。
このハーフトラック、貨物自動車(トラック)をベースにした大型車が多いなか、ドイツ軍は重さ約1.5tの「ケッテンクラート」という小さなハーフトラックも使っていました。外見も非常に特徴的で、前輪はフロントフォークに一輪の、オートバイのように見えますが、後輪はドイツ軍車両特有の、転輪を重ねる複雑な挟み込み式転輪の履帯になっています。プラモデル化もされており、映画やアニメにも登場するなど、一度見たら忘れられないユニークな姿です。
ケッテンクラートは1938(昭和13)年に、ドイツの自動車メーカーNSU社が森林地帯で馬のように使える小型作業車として企画しました。トラクターよりも小型で小回りが利くよう、オートバイカテゴリーに収まる着想でした。「ケッテン」とはドイツ語の履帯、「クラート」とはドイツ語のオートバイの古い言い回し「クラフトラート」を略したもの。単純に日本語にすると「履帯式オートバイ」となります。
NSUによる最初の設計段階で「Kfz.620」と名付けられた履帯式オートバイの車体は、標準的なオートバイの構造を踏襲したプレス製フレーム構造で、後輪を履帯にしていました。エンジンは単気筒または2気筒のオートバイエンジンを搭載する予定だったようです。
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