「大和」だけじゃない!「世界最大最強」の称号が付いた日本のNo.1戦艦列伝
未完成で終わった加賀型戦艦と天城型巡洋戦艦 性能は?
旧日本海軍が建造を進めていた加賀型は、従来の長門型戦艦が前出のとおり、41cm砲を8門装備していたのに対し、それを上回る41cm砲10門を備え、速力については同等の26.5ノット(約49.08km/h)を維持しています。
また天城型巡洋戦艦は、加賀型戦艦の発展型として、同じく41cm砲10門を備えながらも、速力は30ノット(約55.56km/h)と速く、船体は加賀型よりも大きな常備排水量4万トン超で計画されていました。
では、ライバルになりうる外国艦を見てみましょう。
イギリス海軍は45.7cm砲9門を搭載したN3級戦艦と、40.6cm砲を9門搭載し、32ノット(約59.26km/h)の速力を発揮することが期待されたG3級巡洋戦艦を発注しています。しかし、これらの艦は、造船所での準備中にワシントン海軍軍縮条約で建造が中止されたので、建造途中だった旧日本海軍の加賀型戦艦および天城型巡洋戦艦と同世代といえる艦ではありません。
ではアメリカはどうかというと、加賀型戦艦の1番艦「加賀」と2番艦「土佐」が進水した1921(大正10)年の時点でアメリカ海軍が進水させたのは、コロラド級戦艦の「ワシントン」と「ウェストバージニア」でした。加賀型は傾斜装甲の採用により防御力も「長門」と同等以上でしたから、コロラド級を上回る性能なのは間違いありません。
コロラド級戦艦の次級であるサウスダコタ級戦艦(第2次世界大戦中の1942年に就役した同名戦艦とは別の艦型)は、1922(大正11)年に建造中止となりますが、この時点で進水していないため、就役は1923(大正12)年から翌1924(大正13)年ごろと考えられます。
サウスダコタ級は40.6cm砲12門と強力な防御力を備えていたことから、加賀型戦艦を上回る性能と目されますが、加賀型は1922(大正11)年に就役していましたから、その時点での世界最強戦艦は加賀型になったでしょう。
そして、加賀型の10か月遅れで起工した天城型巡洋戦艦は、前述したように攻撃力で加賀型と互角。防御力でやや劣り、速力ではやや上回る艦型でしたから、サウスダコタ級が就役するまでの短期間、世界最強のタイトルを分け合ったものと考えられます。
結論として、加賀型戦艦が就役した時点では、加賀型が世界最強戦艦。天城型巡洋戦艦が就役した時点では、総合的に見て、加賀型と並び世界最強だったといえるのではないでしょうか。
この後、日本海軍は軍縮条約後の1941(昭和16)年に、世界最大最強を誇る大和型戦艦「大和」を就役させます。近代的な日本戦艦の歴史は「世界最大」「世界最強」とともにあったといえるでしょう。
【了】
※誤字を修正しました(6月14日18時00分)。
Writer: 安藤昌季(乗りものライター)
ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。
装甲巡洋艦(巡洋戦艦)「インヴィジブル」とは,いったい何でしょうか。「invisible(見えない)」という艦名の英国軍艦は,私の知る限り存在しません(同じ「見えない」という意味の「H.M.S. Unseen」なら,2次大戦中のU級潜水艦などにありますが)。
もしかして「インヴィンシブル(H.M.S. Invinsible)」のことでしょうか。「invinsible(無敵)」なら,世界初の巡洋戦艦やフォークランドで活躍した軽空母など軍艦史上欠かすことのできない有名な艦名で,それを間違えるなんて「大和」を「だいわ」と読むのと同じくらい恥ずかしいミスですね。
ご指摘ありがとうございます。修正しました。