旧海軍空母「加賀」誕生はほぼ奇跡? 廃艦寸前から大転身・大改装の歩み
なぜ20cm砲を飛行甲板に装備していたのか
「20cm主砲」は、艦載機が主兵装の現代空母からすれば奇異に感じますが、竣工当時はまだ水上艦艇同士での砲撃戦が想定されており、空母も近づいてくる巡洋艦などと撃ち合う可能性があると考えられたことから、必要な装備として設けられたのです。
竣工時の「加賀」は艦載機として三年式艦上戦闘機12機、一三式艦上攻撃機24機、一〇式艦上偵察機12機を搭載し、さらに各形式とも4機ずつを補用機として分解搭載していました。この3機種のなかで最も航続時間が長いのは一三式艦上攻撃機ですが、それでも攻撃範囲は200km程度です。艦上戦闘機はその半分程度なので、当時の艦載機の性能的には敵艦隊から100km程度の距離で発艦することになるでしょう。
艦載機収容を考えると、空母はほぼ移動できません。敵の巡洋艦や駆逐艦が32ノット(約59.26km/h)で向かってきたと想定すると、空母はすぐ砲撃戦に巻き込まれるわけです。こうした状況を鑑みると、巡洋艦と同じ攻撃力を有する20cm砲が有用とされ、「加賀」は条約上限とほぼ同じ20cm砲(「古鷹」型重巡洋艦と同じ、条約上限の20.3cmよりやや小さい主砲でした)10門を搭載したのです。なお、戦時には主砲を増設し、計14門に増やす予定でした。
また当時の大型空母は、水上戦闘艦としても有力な艦艇でした。「加賀」だけでなく巡洋戦艦から改装された「赤城」にしても、舷側で127mmから152mm厚の傾斜装甲、上面で38mm厚の水平装甲を備えていました。
これは同時期に就役した妙高型重巡洋艦が舷側102mm厚の傾斜装甲、35mm厚の水平装甲だったのと比べると、それを上回る重防御といえます。アメリカのレキシントン級空母は「加賀」「赤城」よりもぶ厚い舷側178mmの傾斜装甲ですから、重巡洋艦が装備する20.3cm砲でも、貫通困難な防御力を有していたといえます。
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