旧海軍空母「加賀」誕生はほぼ奇跡? 廃艦寸前から大転身・大改装の歩み
最後まで残された20cm砲
加えて「赤城」は竣工時の基準排水量が3万2774トン(公表2万6900トン)で、「加賀」やレキシントン級もほぼ同じですから浮力も大きく、1万トンクラスの重巡洋艦から見ても、容易に対応できる水上戦闘艦ではなかったのです。ちなみに大型空母は、万一、戦艦と遭遇した場合は多くの場合で空母の方が優速なため、逃げられます。
こうした理由で、「加賀」「赤城」とも大改装後にも20cm砲が残されたのです。
大改装で全通式飛行甲板や、進歩した横柵式着艦装置を備えて艦載機運用能力を大幅に高めた「加賀」「赤城」は、開戦時の真珠湾攻撃から旧日本海軍の空母機動部隊の主力として太平洋のみならずインド洋まで足を延ばして戦っています。
「加賀」は1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で敵艦載機の来襲によって沈没しますが、よく知られている大改装後の姿や意味合いについても、なぜそうなったのか出自を知ると理解が深まるように感じます。
【了】
Writer: 安藤昌季(乗りものライター)
ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。
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