【鉄道車両のDNA】路面電車の近代化に大きく貢献した「LRV」の系譜

近年、日本国内で登場する路面電車の車両は超低床車両が主流となっています。この超低床車両、どのような経緯を経て開発されてきたのでしょうか。バリエーション豊かな超低床車両の歴史を紐解いていきます。

この記事の目次

・最新型は大型超低床車両
・「LRV」とは?
・国内LRVの始祖は「軽快電車」
・超低床LRV導入のはじまりは海外との業務提携
・国内で動きはじめた超低床LRV導入プロジェクト
・国内で未営業の超低床LRV

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最新型は大型超低床車両

 2021年5月31日(月)、栃木県宇都宮市で新しい路面電車車両のお披露目がありました。2023年開業予定の芳賀・宇都宮LRT(宇都宮ライトレール)で運行されるLRV、HU300形電車「ライトライン」です。

 超低床車両とすることでバリアフリーとユニバーサルデザインを意識し、車体は流線型と鮮やかな黄色が目立ちます。また、車内は照明や座席、ICカードリーダーの位置など随所にこだわりがみられました。編成長は国内の軌道法で決められている制限ぎりぎりの30m級で、定員は約160人となっています。

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芳賀・宇都宮ライトレールで運行予定のHU300形「ライトライン」。新潟トランシス製で、前面の形状をより鋭くし、カラーリングを工夫することでよりスタイリッシュな印象を与えている。運行開始時までには17編成が揃う予定(2021年5月31日、鳴海 侑撮影/取材協力:鉄道プレスネット)。

 近年登場する路面電車の車両はHU300形のように超低床車両が増えてきており、「超低床LRV」と呼ばれます。現在、国内には営業運行している超低床LRVだけでも16事業者で約150編成が運行されており、バリエーションも豊かです。そこで今回は超低床車両を中心とした「LRV」について、これまでどういった開発経緯を経てHU300形のような最新の大型超低床車両が誕生するようになったのかを紹介します。

「LRV」とは?

 まず、「LRV」という言葉について簡単に定義をみていきましょう。LRVは「Light Rail Vehicle」の略です。言葉のまま解釈すると、短編成の普通鉄道や路面電車といった一般的な普通鉄道よりも輸送力が小さい鉄軌道(主に軌道)の「車両」のことを指します。しかし、LRVという言葉が使われ始めたのは1980年代以降のことで、単に輸送量の小さい軌道系交通機関の車両というだけではない意味も含まれています。

 LRVという言葉は世界的に路面電車の再評価が行われるなかで生まれました。はじめにアメリカ国内の路面電車に投入された高加減速で輸送力が増強できる車両がLRVと名付けられ、以後アメリカやヨーロッパで同じような車両が投入されていきました。つまり、LRVは路面電車車両の中でも高加減速で輸送力の高い車両を指すのです。

 一方で、日本国内でLRVという言葉が本格的に使われるようになったのは、LRT(ライトレールトランジット「Light Rail Transit」)の概念がアメリカやヨーロッパから伝わり、特にフランス・ストラスブールをはじめヨーロッパで導入が進んでいた超低床車両が注目されてからです。その影響で国内では超低床LRVを指して「LRV」と呼ぶことが多くなっています。一方で、東急世田谷線を走る300系電車のように輸送力を増強し、高加減速を実現している路面電車でも、超低床ではないためにLRVと呼ばれないことが多い車両もあります。国内におけるLRVの定義は非常に曖昧と言わざるを得ない側面もあるのです。

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車両の冷房化とともにバリアフリー化を目的に東急が世田谷線に導入した300系電車。世田谷線はホームをかさ上げしたため、車両は超低床とはなっていない。写真は世田谷線50周年記念で復活した新「幸福の招き猫電車」(2019年5月11日、伊藤真悟撮影)。

 また、国内ではLRTで使われている高性能車両をLRVとするのではなく、LRVのみで運行する併用軌道と専用軌道を持つ鉄軌道路線をLRTと呼ぶようになっており、倒錯した状態になっているとも言えます。

国内LRVの始祖は「軽快電車」

 こうしたLRVの曖昧な定義も踏まえながら、国内のLRVの歴史を見ていくと、端緒は1980(昭和55)年に開発された「軽快電車」に求めることができるといえます。

 1970年代は路面電車の廃止、地下鉄への転換が相次いだことから車体更新こそあれど、新製車両はほとんどありませんでした。このため、路面電車の技術開発が停滞することが危惧されていました。

 そこで日本鉄道技術協会の手で開発されたのが「軽快電車」でした。第1弾は広島電鉄3500形電車と長崎電気軌道2000形電車で、両形式ともに1980年に投入されました。今までの路面電車に採用されている技術を一新し、制御方式は抵抗制御に変わって電機子チョッパ制御を採用。駆動方式は吊り掛け駆動方式に変わってカルダン駆動方式を採用し、台車部を一新することで高加減速を実現しました。また、連接車とすることで輸送力も増強したほか、冷房装置の搭載や低騒音化で車内環境の向上も図っています。

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広島電鉄3800形電車「グリーンライナー」。「軽快電車」3500形電車のながれを汲む(2015年4月、鳴海 侑撮影)。

「軽快電車」は見た目も大きく変わり、それまでの丸みを帯びた車端部から角張ったものになりました。この軽快電車のデザインや技術を活用した車両はその後全国各地の路面電車事業者で採用され、徐々に数を増やしていきます。また、川崎重工業や日本車輌、東急車輌(現在の総合車両製作所)が製造した路面電車車両の中にはアメリカにLRVとして輸出した車両もありました。

 さらに1982(昭和57)年には電機子チョッパ制御からさらに進化したVVVFインバータ制御を取り入れた熊本市交通局8200形電車が登場します。この車両は国内の鉄軌道の車両で初めてVVVFインバータ制御を取り入れた車両でした。その後も軽快電車に準じたデザインや性能の車両が各地の路面電車に投入されていきました。

 路面電車は軽快電車開発後も、低いホームと高い車両の床面の間に生まれる段差が大きな課題でした。台車を低くすることや床下機器を小型化することは容易ではなく、引き続き大きなステップのある車両を投入せざるを得なかったのです。

 都電荒川線や東急世田谷線などの一部の路線は併用軌道部分に駅がないためにホームをかさ上げすることでホームと車両との段差を解消していきました。しかし、多くの路面電車はホームと車両の改造に資金がいること、また事故防止のために車からの視界確保が必要なことから、ホームは路面からわずかにかさ上げした位置に置かざるをえませんでした。そのため、バリアフリーの観点から超低床車両が求められるようになります。

 同じように、ヨーロッパでもバリアフリーの観点から超低床車両導入の機運が高まり、1984(昭和59)年、スイスのジュネーブで一部超低床車両が運行開始しました。その後、フランスのナントやグルノーブルにも一部超低床車両が投入されていきます。そして、1987(昭和62)年に運行を開始したグルノーブルの超低床車両は独立車輪を導入し、低床部の大幅増床を達成しました。

 従来、車輪は車軸によって2輪で1セットになっているものですが、このうち非動力台車について1輪独立にしたのです。すると、車軸がなくなるために低床部を増床できるというものでした。

 こうした超低床車両の開発はスイスやフランスに限ったことではなく、イタリアやドイツでも開発が進み、各地で開発競争がはじまりました。結果として、はじめは一部超低床車両だったものは100%超低床車両を実現するまでに技術が進化していきます。

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Writer: 鳴海 侑(まち探訪家)

1990年、神奈川県生まれ。私鉄沿線で育ち、高校生の時に地方私鉄とまちとの関係性を研究したことをきっかけに全国のまちを訪ね歩いている。現在はまちコトメディア「matinote」をはじめ、複数のwebメディアでまちや交通に関する記事を執筆している。

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