世界最大モンスター機「An-225」 実はコクピットも規格外だった! 特殊すぎる操縦の様子

コクピット広すぎませんか!!!

初飛行は1988年

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アントノフAn-225「ムリヤ」(画像:Transport Pixels[CC BY-SA〈https://bit.ly/2VvpNUU〉])。

 2021年6月に約10か月ぶりに商用飛行に投入された、アントノフ An-225「ムリヤ」。世界に1機だけしかないこの機のコクピットの様子が、アントノフ航空の公式Twitterで公開されています。

 An-225は、旧ソビエト連邦のアントノフ設計局によって開発され、1988(昭和63)年に初飛行しました。最大離陸重量は640tで「世界最大の航空機」としてのギネス記録をもち、全長84m、全幅88.74mの規格外の胴体をもちます。現在こそ貨物輸送を担っているものの、当初は、ソ連版スペースシャトル「ブラン」の輸送のため開発されたことから、先述のとおり運用されているのは、世界に1機のみです。

 アントノフ航空の公式Twitterは、An-225のコクピットの様子を動画で掲載しています。その様子は、パイロット2人が狭い室内で大型ディスプレイが並ぶ操縦席の前に座る現代の飛行機のイメージとは全く異なるといえるでしょう。

 コクピットは標準的なものより明らかに広大なスペースが取られており、パイロット2人のうしろには、エンジニアが4人着座し、計6人体制で運航されています。操縦席はアナログ計器がならび、6発機というレイアウトから、エンジン出力を調整する「スラストレバー」も6つに分かれている様子が確認できます。

【了】

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コメント

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1件のコメント

  1. フライトエンジニアが4人もいて、何をしていたのでしょうね。第一次大戦から1930年代ごろの多発機は、エンジンを安定して同調させて回すだけでも大変で、機関士を何人も乗せるケースが幾つかありましたが、1980年代末の飛行機では、他に例が無いのでは。
     航空機関士の仕事は、エンジンの監視と調整と燃料の管理です。つまり、今では主にコンピューターがやっている作業です。ソ連は巨大な飛行機を作る技術はありましたが、コンピューターが絡む制御技術の面では、西側に大幅に遅れていたということですね。
     1980~90年代はいわゆるハイテクの時代で、交通システムから兵器、家電製品から巨大工場まで、あらゆるものがどんどんコンピューター制御になっていきました。こうした分野で西側との競争に負けたことがソ連邦崩壊の背景の一つと言えそうです。