新快速はいかにして日本海へ達したか 運行拡大のカギを握った「交直セクション」
電車の関所? 交直セクションとは
日本の電車には(というか、世界でもそうですが)、直流電源で走るものと交流電源で走るものの2種類があります。両者の違いは色々ありますが、おおざっぱに言うと直流電化は変電設備が地上にまとめられているのに対し、交流電化は一部を車両に搭載。そのため、交流電化は地上設備の整備コストが安い反面、車両の製造コストが高くなるという特徴が見られます。
日本では、明治時代に直流電源による電車が営業を開始。戦後もしばらくは直流での電化が進められました。一方、1950年代には交流電車の研究が始まり、1954(昭和29)年から宮城県内の仙山線で交流電化の試験がスタート。この成功を受けて、大都市圏ほど輸送力を必要としない、つまり車両数が少なくても対応できる地方路線は、交流での電化が進められました。
すると、直流区間と交流区間の接する場所がいくつかできることになります。これが「交直セクション」です。交直セクションを通過するには、両方の電源に対応した車両が必要となりますが、これは非常に高価なため、なるべく少数で済ませることが理想です。そこで、多くの場合は拠点駅を越えた交流区間側に交直セクションを設け、拠点駅までは直流車両で、拠点駅からは交直流車両で運行しています。首都圏を例に挙げると、東北本線は黒磯駅の福島方、常磐線は取手駅の水戸方に交直セクションがあり、東京方面から来る直流車両の列車は、それぞれ黒磯駅と取手駅で折り返します。
国鉄時代、東海道・山陽本線は全線が直流電化された一方、北陸本線は交流(新潟県の糸魚川駅以北は直流)で電化されたため、米原駅を出た先、北陸本線側に交直セクションが設けられました。しかし新快速は直流車両で運行されているので、米原駅を越えて北陸本線に乗り入れることができません。そのため、長浜・敦賀方面へ行くには、米原駅で乗り換えが必要でした。
これに対し、長浜エリアでは大阪方面から新快速を直通させ、定住者や観光客を呼び込もうという動きが起こりました。そこで、滋賀県と長浜市はJR西日本に対し、米原~長浜間の直流化を要望。工事費用を負担することで実現にこぎ着けます。工事は1991(平成3)年に完成し、新快速の長浜駅までの延長運転が始まりました。
小浜線が敦賀まで直流電化した2003年から湖西線永原~近江塩津間、北陸本線長浜~虎姫間のデッドセクションが敦賀~南今庄間に移設された2006年まで、敦賀駅は2つの方式(直流・交流)が入り乱れていたのか、いくら小浜線が単独ホームだとは言え……。
新幹線が敦賀から南下した時がどうなるかやな。
本文にあった通り、自治体がたんとお布施を出しとるでね。
大阪の会社がどうするんやろね。
この記事を読むと、かつては米原を出てすぐに交直セクションがあったような記載であるが、実際には、かつて交直セクションが置かれていたのは、米原駅のとなりの坂田駅とその隣の田村駅の間である。つまり、米原ー坂田間は当初より直流区間であり、誤解を与える記載だと思う。誤解を招かないような正確な記載をお願いしたい。
何故敦賀にだけ「福井の」と付ける?
敦賀は文化も言語も気候も福井とは全く違って一緒にされたくないという気質で、敦賀人の根本は関西人。
何故敦賀に新快速を乗り入れたかったかの理由は、NDY風に点数を付けると30点。
だからこそじゃないの?
確かに福井嶺南は関西文化圏なんだし、地理に弱い人が滋賀県と誤認するかもしれない。
三重の伊賀とか東紀州も元々関西文化圏だけどね。
新快速は牛窓港・瀬戸内海(岡山県・兵庫県側)から神戸港・大阪港を経由して日本海まで到達したわけですよ。